2016年12月11日

「同時通訳はやめられない」袖川 裕美 著

長い間、いわゆる「積ん読」でしたが読み始めたら一気でした。もともと翻訳者でいらしたということで、文章はとても読みやすく理解しやすいと感じました。

「同時通訳はやめられない」 袖川 裕美 著

私が同じ通訳者という立場なので、言うまでもなく共感する事ばかりです。しかしながら著者は、私が同じレベルで「そうそう!」と頷くのが正に「おこがましい」、経験も実力もある通訳者です。それでも読み進めながら「そうそう!」と思わず感じさせてしまうその文章には、著者の構えない偉ぶらない人柄を感じずにはいられません。

著者は長い通訳キャリアの持ち主であり、その中で担当された分野は多岐に渡ります。特に、バブル後期から通訳業界に身を置かれてきたことで、日本という国家の文化的そして政治的な世界での位置付けの変遷について得られたとみられる知見は膨大であることが伺えます。これには舌を巻くより他ありません。一方でご自身が心酔されている音楽家を端緒、クラシック音楽の分野で著名な音楽家の通訳業務にも次々と携わられた他、スポーツでも多くの選手や監督の通訳を担当されています。それぞれについて著者自身の印象を書き記されています。その文章には著者の飾らない、でも「おもしろい物、人、見たい!」というガッツというか好奇心が全面に出ており、読んでいるこちらも「そんなドラマが有ったのか」と引き込まれてしまいました。

今まで通訳者として技術的に素晴らしいと感じるパフォーマンスをする同僚や先輩には多く出会いました。ですが、フリーランスとしてビジネス抜きで他の通訳者と付き合うことのできる場面はごく限られています。人間的にお互いを深く知り合うほどのお付き合いはなかなか難しいのです。ネットは素晴らしい情報源ですが、一方でネット情報はどこかマーケティングに寄りがちな気がして、最近どうしても少し斜に構えて読んでしまうのは、私の悪い癖かもしれません。そんな中、この一冊からは著者の等身大のお人柄が立ち上がり見えるような気がして、またそのお人柄がとても尊敬すべき慕わしいものに感じられました。

以下にそれを印象付け「きっと間違ってない…」と私自身がキャリアの模索で感じている迷いを受け止めてくれた部分を引用します。

「あとがき」より
…結果、本格的に勉強しようと大学院に行くことにした。

私は、それでも、この時、英語が「大体」わかるようになったと思っていた。だが、この「大体」が曲者で、その後ずっと今日に至るまで「大体」が続いている。確かに理解できる量は増えてはいるが、すべてを完璧に分かることはない、
自信を持ちかけては失い、失っては持ちかける。これがどこまで行っても繰り返されるように思える。それでも、去年より今年のほうが少しマシになっているのではないか。こう感じられる限り、通訳をやっていきたいと思っている。

こんな方が自分の業界の(やはりとてもおこがましいのですが…)大先輩でいて下さる事をとても誇らしく嬉しい…という、爽やかで身の引き締まる読後感。私にとってはそんな一冊となりました。

蛇足ですが…

私は著者程の経験はないものの、比較的様々な業界で満遍なくITに関わるお仕事をお引き受けしています。バブル期以降のITの世界でインターネットの普及にともなう世界経済、政治、ビジネス、人々の生活や振る舞いの変容を、どなたか「通訳者は見た!」的に、業界別、分野別に書いて下さらないかな…。そして来るべき「Google通訳」の時代について考察してもらえれば、是非読んでみたい…です。よろしく(笑)

2016年12月4日

「通訳の仕事とは」小学校高学年〜中学生向け

毎年、春先と夏休みが終わる直前には小学生や中学生から可愛いメールやお手紙を頂きます。「通訳の仕事について教えてください」というものです。今回は学生時代の同級生のお子さんが夏休みの課題の職業調査をしたいので…ということで相談を受けました。

以前にもこちらで、そのやりとりの概要をご紹介したことは有りましたが、今回はレポート本体に直接書けるような具体的な内容をまとめてお返事できたので、この際、これを公開してしまおうと思います。

あくまでも、小学校高学年から中学生向けで「会議通訳の概要」がつかめる事を意識しました。




通訳者の仕事

1. 通訳とは
まず「通訳する」ということについて説明します。世界には様々な言語(手話も含みます)が有りますが、二ヶ国語間の話し言葉をお互いに意味が通じるように相手に伝える行為を「通訳する」といいます。書き言葉を別の言語の書き言葉にする事は「翻訳する」と言い、通訳とは一般に区別されます。(ただし、英語だとtranslation=翻訳+通訳と定義されるためよく混同されるし、二つの仕事に求められる能力の違いを理解してもうのはなかなか難しいことです。通訳=interpretingです)よい翻訳者だからといってよい通訳者ではないし、その逆もそうです。特に同時通訳には特別な訓練が必要です。

2. 仕事の仕方
私は日本語と英語の会議通訳者です。観光客にガイドをするなど通訳ガイドの仕事とは違い、官公庁や一般企業などが行なう会議の通訳をしています。登録している複数の通訳エージェントから仕事を依頼・紹介されたり、あるいは直接お客様から依頼を受けて、お客様先やお客様が主催・参加する会議やイベントなどで仕事をしています。

3. 通訳の種類
通訳のやり方には大きく分けて二つのタイプがあります。逐次通訳と同時通訳です。

逐次通訳について説明します。逐次とは「順を追って、次々に」という意味で、逐次通訳とはスピーカーが話した後に一定の間を置き、その間にスピーカーが話した内容を通訳することです。
一方、同時通訳とは、スピーカーが話している内容を話しているのと同時に聞き手に伝える作業です。同時通訳では、スピーカーと通訳者が同時に言葉を発するため、聞き手に聴きやすいようにするために多くの場合機器が用いられます。小さな会議では、聞き手はレシーバー(受信機)にイヤホンをつけて通訳者の音声を聞き、通訳者はマイク(送信機)を持ち小さめの声で邪魔にならないように通訳音声をマイクに向かってしゃべります。大きな会議では会議場に作り付けの通訳者ブース(通訳するための機器のそろった小部屋)がある場合もありますし、なくても仮説ブースと言って小さな小屋のような小部屋を作って音響機器を設置し、そこから通訳の音声を聞き手のレシーバーへ送信することもあります。
ですが、同時通訳にもウィスパリングと呼ばれる機器を使わない方法もあります。ウィスパリング(Whispering)とは「囁く」という意味で、聞き手が二人くらいまでの時は聞き手の横や後ろに通訳者がすわり耳元近くで囁くような声で同時通訳する事をいいます。二国間の首脳会談などでは各首脳の横に通訳が座り仕事をしている様子が時々映し出されますが、そこで使われているのもこのウィスパリングという手法です。

4. 通訳の方法
通訳は高い集中力が求められる作業です。同時通訳では必ずペアまたは3人以上で組になって通訳を行います。通常は通訳作業に求められる集中力が続くのは15-30分と言われていて、私の周りでは15分交代が一般的です。自分の番でない時には、もちろん頭を休める事もしますが、難しい会議になると通訳の番の人が訳すのに苦戦している場合に該当する資料を差し出したり、時には数字や固有名詞などをメモして差し出すなどの補助をすることもあります。つまり、通訳には時にはチームプレーが大変重要な役割を果たします。逐次通訳でも業務時間が長い場合はペアで作業することもあり、同時通訳の時と同様のチームプレーは重要です。

5. 職業につくために
日本の大学にはまだプロの通訳者を養成する学部や学科はほとんど有りません。通訳理論や通訳訓練を受けられる大学はかなり増えてきましたが、卒業したからといってすぐに通訳職につけるのはまだ稀だと言えるでしょう。通常は通訳学校に通い勉強をし、通いながら、あるいは卒業してから、英語を使う仕事から通訳補助的な仕事、そして社内通訳者やフリーランス通訳者というふうに少しずつ経験を積んでステップアップして行きます。一般に帰国子女や留学経験者が多いと思われがちですが、私のように海外留学経験もなく日本だけで勉強して通訳者になった人も少なくありません。通訳者は様々な業界のお手伝いをする仕事なので、むしろ英語とは関係ない業界で仕事をした経験が役に立つことがよくあります。例えば私は大学卒業後すぐはコンピュータ関係の仕事をしていました。今はどんな業種でもコンピュータやインターネット抜きには成り立たないという背景もあり、前職で学んだ技術や知識が多くの仕事現場で役立っています。

6. やりがいや楽しいこと
自分が苦労して身につけた技術で仕事ができていると感じられることがやりがいです。また、お客様のビジネスが上手く行き喜んで下さる様子を直接目にしたり、その場で顔を見て「ありがとう」と言われると嬉しいです。また、毎回違うお客様の違う分野のお仕事を担当しますが、多くの場合、分野の最先端の動向や情報を新しい知識として吸収できるのが楽しいです。例えば、医療機器の説明会、化粧品会社のマーケティング会議、サングラスの商談、核燃料商談検討会、コンピュータやインターネット企業の会議、福島第一廃炉技術検討会、現代アート市民会議、自動車他製造関連企業の会議、マーケティング関連会議、建築技術セミナー、電力会社の会議、様々な企業の記者会見など、挙げればきりが有りません。あと、有名人に会える機会も比較的多い職業かも知れません。また、私は普段は広島か東京で仕事をしていますが、頻度は限られているものの国内外への出張があり、自分では思いもしないような場所に行くことがあります。訪問先で現地の様子を見たり、現地の食べ物を頂いたり、人々にあったりと、初めての経験ができるのは楽しいです。過去10年程の出張先は日本国内各地を始め、海外では中国 (上海、マカオ、香港、重慶、武漢、広州、海南島)、アメリカ (ボストン、ピッツバーグ、ロサンゼルス、デトロイト、シアトル、ハワイ) カナダ(サスカチュワン、モントリオール、トロント)、オーストラリア、シンガポール、マレーシア、タイ、ベトナム、台湾、UAE、スペイン (バルセロナ、マヨルカ) 、バーレーン 等です。(私は随分少ない方です)

7. 小中学生の時に何をしておけばいいか
英語だけでなく好きなことや興味のあることは何でも一生懸命に勉強しましょう。学校の学科でなくても、スポーツでもゲームでも自分が面白いと思うことがあればとことんやってみましょう。でも、最初は何となく面白そうでも慣れてくると飽きてしまうこともあります。その時にちょっとだけ我慢して「知ろう」とする努力をしているとまた面白くなる時がきます。(それでも面白くならなかったらやめてもいいと思います、笑)通訳は一つ一つの仕事の前には沢山の調べ物をして内容や言葉に慣れておく必要があるので「研究」できる根気があることが大切だからです。また、通訳者というとどうしても英語が大切と思われがちですし実際大切ですが、日本語も同じくらい大切だとよく覚えておいてください。特に日本人のお客様相手に話をするときに、敬語を含め正しい日本語が使えることはとても重要です。そういう力を養うためにも、沢山(英語でも日本語でも)本を読みましょう。分野は何でも構いません。漫画でもOKです。私も知らない分野のことは、漫画や小中学生向けの本で勉強することも有ります。




以上、いかがでしょうか?でも、今の若い人たちにあまり進んで「通訳者」という仕事を勧めるのが良いことなのか、昨今の機械翻訳の飛躍的な性能向上を目の当たりにすると悩ましいところです。15〜20年後に通訳という仕事はまだ存在しているとは思いますが、ローエンドの仕事は間違いなく機械翻訳(通訳)に取って代わられているでしょうし、時間のかかる人間通訳養成を敢えて試みる理由を認識する企業は確実に減少しているでしょう。この話はまた別の機会に…

2016年10月12日

通訳における印象操作のリスク(訳語の選択)

アメリカの大統領選挙に絡んで、ニュースでヒラリー・クリントンやドナルド・トランプのスピーチがボイスオーバー翻訳付きで放送されることが増えました。先日、NHKニュースの中でもヒラリーのスピーチが女言葉でアフレコされていた事が問題視され、改めて「スピーカー本人の人となりを勝手に解釈し印象付けを行うのは情報操作の一環ではないか?」といった問題提起が見られました。

例えば、黒人のラッパー少年が話すと「俺は」になるのに、ジャスティン・ティンバーレイクが話すと「僕は」になるのは、そこにステレオタイプな印象操作が関与しているとされても仕方がない気がします。そして確かに、必要以上のそうした脚色には違和感を感じるものです。

しかし、通訳を考える時、これはとても重要な問題で、通訳がinterpretation(解釈)と言われる所以でもあります。幸いで、「俺」「僕」などというような現場に遭遇することは通常ビジネスの場ではまず有りません。ですので、上記で述べた例での印象操作につながるようなリスクはほとんどありませんが、解釈する主体としてそのリスクは理解しておくべきだと、このニュースを聞き改めて感じました。

実際、時に白熱した会議の場所などでは感情に任せて極端な発言が出てくる場合もあります。結局、正解はその場その場にしかなく、通訳者がその場で様子を見ながら判断、解釈して訳出するしかないと考えています。関連して、思い出される同僚から聞いた話があります。

スピーカー: I think this is f***ing crazy!
通訳者:正気の沙汰とは思えません!

正直あっぱれだと思いました(笑)が、Fワードが入っている時点で「正気の沙汰ではない」という言葉の「上品な選択」が不釣り合いになってきます。

あぁ、言葉は難しい…

2016年9月30日

JTF翻訳祭プログラム発表

JTF翻訳祭のプログラムが発表になりました。実はここ数年、翻訳祭には出席していませんでした。私の場合、翻訳、通訳の二足の草鞋ではありますが、どうしても通訳業務が多くなる傾向にあり、繁忙期の真最中に開催される翻訳祭にはなかなか足が向きませんでした。

ところが今年に入ってから理事が入れ替わり、翻訳会社の方々よりもフリーランス実務翻訳者が数多く運営に携わることになり、さらに一部の関係者から「今後は通訳業界についてもカバーしていく」という話も漏れ聞こえていたことから、翻訳祭のプログラム発表はとても楽しみにしていました。

JTF翻訳際プログラム
https://www.jtf.jp/festival/festival_program.do

具体的に中身を見てみると、トラック6に通訳枠が当てられているようです。この中でも個人的には通訳トラックは、ISS西山さん、立教の武田さんあたりがボチボチ目玉だと見ています。

どちらかというと同業のフリーランス通訳者の現場での生の声を聞いてみたいと思っていたのですが、いずれも、通訳エージェント、通訳学校、大学からの登壇です。そこは、今後のJTFの通訳関連の活動にも期待したいところです。

しかし、別トラックで面白そうなのが!

トラック6
セッション4 対談 16:30~18:00
BBCエディターに聞く報道の現場と翻訳・通訳

以前、このセッションでモデレータを務める予定の松丸さんとお茶した時に、BBCでボイスオーバーの仕事の様子を興味深く聞かせて頂いたことがありました。与えられたニュース素材を自分で訳し、映像に載せて自分でナレーションまでを担当するそうです。ちょうど翻訳と通訳の中間のような仕事だと感じながら聞きました。このパネルでは

…正確性、即時性が求められるニュースの現場における理想的な翻訳者・通訳者像とは何かを探る…

ということで、期待が膨らみます。申し込みは済ませましたが支払いがまだ…。油断できません。今年は申込み開始からペースがかなり速いとTwitterで読みました。

まだ少し先になりますが、会場で私を見かけた方は遠慮なくお声がけ下さい!

2016年8月20日

「通訳翻訳ジャーナル2016秋号」に掲載されました

通訳翻訳ジャーナル2016秋号が本日8月20日(土)に発売になります。

この中で私も取材を受けました。写真がデカすぎて個人的にはドン引きです。「首のシワをフォトショして」とお願いしようと何度考えたか分かりません。その上、写真撮影があるなど思いもせずうかつに適当な格好をして行ってしまいました。「ちなみに某有名通訳者はポーズからお衣装までバッチリでしたよ」と言われてしまい、余計にウガウガガガガ…どぉしろと。


閑話休題。テーマは「これってハンデになる?ならない?」で、私の場合は「地方在住」が想定ハンデでした。学習はどこにいてもできますが、実績を得て実力を付けるには地方在住はやはりハンデであり、そうでないと言い切ることは私にはできません。

ざっくり言うと「通訳の実力とビジネススキルとの両方を東京で磨くことで、東京だけでなく地元での案件開拓につなげることができた」という流れになっています。

広島での稼働はフリーランスデビュー当初に比べれば格段に増えました。しかし市場の仕事量は東京が圧倒的に多いため、どうしても年間の稼働日数を比べると東京が上回ります。このような状況で果たして「地方在住」と言えるかどうか…微妙なところです。

ただ、地方に居ながら蒔いた種は確実に芽を出しているので、そういった細々した事に目を留めて頂きご自分の環境に合うものがあればトライして見て欲しいと思います。お役に立てれば幸いです。

ご意見やコメント等あれば遠慮なくお寄せ下さい。



2016年8月19日

小さな平和

夏休みを利用してイギリスのロンドン・エジンバラに駆け足で旅行してきました。一週間と短い滞在でしたが私なりに満喫して帰りました。個人的な旅行の思い出は沢山あるのですが、通訳翻訳の脈絡では、偶然にもステイ先のホストが英露翻訳者だったこと、そしてこの一枚の貼り紙を見つけた事がちょっとしたイベントでした。

これはウェストミンスター大聖堂の塔の上にあるエレベーターの横に貼ってあった一枚の注意書きです。旧式で反応が遅いエレベーターに苛ついて連打する人が多いのでしょうね(笑)


元の文章は Press the button once only. です。これを各国語に訳した文章が並んでいるのですが、訪れた人たちが自分の言語の翻訳を添削したり、自分の言語の翻訳を追加したりしています。

知りたい、広めたい情報を、持てる知識を駆使して分かりやすく伝えようと多くの人が手をかけていることに「小さな平和」を見たような気分でした。

2016年7月24日

人としてプロジェクトに関わる

地元でピースリンク通訳事務所として稼働させていただくようになり、今年ではや8年を迎えました。私自身、近年のメイン稼働は東京にシフトしているのですが、広島でお声がけ頂くお客様のお仕事は最優先で取り組ませていただいています。

そんな中で、継続してお声がけ頂く案件も少しずつですが増えてきました。その一つが広島大学が取り組んでいる「フィリピン・ミンダナオのバンサモロ自治政府人材育成強化事業」への通訳支援です。

今年でかれこれ三年目、春と秋とあるので回数も随分重ねました。フィリピンからの研修生はみなさんまじめな、ですがとても明るい若者たちです。学ぼうという意欲に溢れていて、人懐っこい気質の彼らを好きにならずにはいられません。

今年の研修生を引率していた男性は昨年の研修生メンバーだったようですが、わざわざ私に声をかけてくれて「昨年も担当してくれましたよね?またお会いできて嬉しい!」と握手を求めてくれました。私もどれだけ嬉しかったことか!

フリーランスそして通訳という職業の性質上、現場で名前を覚えて頂き「仲間」として評価してもらえるプロジェクトに継続的に関われるチャンスは多く有りません。そんな中、こうした経験を得られた事は私にとり本当に嬉しい事でした。

何か出来ることはないか…?と先日こちらでもご紹介した書籍「広島の復興(Hiroshima’s Revival)」を研修生に一冊ずつ贈らせていただきました。研修時に紹介したらものすごく興味を示していたのですが、後に一冊だけお届けしたところ皆さんで早速読む順番を決めていたとお聞きして、皆さんへ一冊づつ贈呈させていただくことを決めました。


【頂いたお礼状】

フィリピンに帰国すれば難題が山積みの彼らですが、広島で学んだことや広島の復興を肌で感じた経験を役に立てて、民主的な彼らの理想とする政府の樹立に貢献されることを願ってやみません。そのお手伝いができたなら、私も嬉しく思います。

― 謝辞 ―

このプロジェクトには私以外にも広島で活動する地元出身の複数の通訳者にお手伝い頂いています。この場を借りて、広島で志を同じく通訳業務に取り組んでいる仲間たちに感謝したく思います。ありがとうございます!

2016年5月26日

オバマ大統領の広島来訪

明日、アメリカのオバマ大統領が戦後初めて現職の大統領として被爆地広島を訪れます。大統領の来広が決まった時にひどく喜んでいる自分自身に驚きました。

広島生まれ、広島育ちで、広島の外に出て仕事をするようになったのは35歳を過ぎてからです。広島で何が起きたのか知らない人、誤解している人が数多くいることに驚きました。「広島を見て感じる」ということを子供の頃からしてきた自分を強く感じます。

明日は私自身は仕事で広島におらず、リアルタイムで大統領の言葉を聞くことはできそうにありませんが、静かにオバマ大統領の言葉を待ちたいと思います。


とても良い記事。ぜひ。

2016年5月10日

キャリアと子育てー 後編「両立の意味」

でもそんな幸運な私でさえ「自分の感情と折り合いをつける、子どもを信じる、自分を信じる」ということがなかなかできず、一時期はかなりのストレスを抱えていました。ところが、事の只中にいる時にはそれが難しさでありストレスのもとだとは、ほとんど気がついていなかったのです。様々な局面をくぐり抜けて振り返った時「難しかったのは選択そのものではなく、どう目の前のことを受け入れるか」だった、そう理解できるようになりました。

家事と勉強、仕事を両立できずに入退院を繰り返した頃、主婦業をすべて一人でできない自分を受け入れられませんでした。専業主婦だった自分の母から潜在的に「家事は女のもの」という固定観念が作り上げられていたようです。そして、何の感情も無く嫌がる子どもを保育園に預けたり、オーストラリアへ連れて行った訳ではありません。園で別れ際に泣き叫ぶ子どもに罪悪感を募らせ、遠いオーストラリアの地で体調を崩す息子を見ては、やはり自分を責めました。ましてや平気で不登校の娘を置いて東京で仕事をしていた訳ではありません。仕事をほんの一時期控えたこともありましたが、私は娘に対する他でもない「自分の気持ち」に後ろ髪を鷲掴みにされながら東京へでかけ続けました。

今、いろんな通訳キャリアのフェーズで子育て真っ最中の方はたくさんいると思いますが、皆さんの取れる行動の選択肢はたった一つで、体を酷使し尽くしてもできることは限られています。そんななか私自身、日々「思うようにできない」という自分の感情と格闘しながらも「後悔しながら進まない」ということをやっと意識できるようになったのはつい数年前、娘が不登校になった頃だったでしょうか。

社会は暗黙のうちに「産め」というプレッシャーをかけ、産めば「産んだ自分の責任」と公然と突き放し「冷たい大衆の視線」があふれています。そういう社会の中で、目の前の子どもの求めに応じる事ができないジレンマでただでさえ引き裂かれるように心揺れる親という立場にいることは、職業を持つ持たないにかかわらず易しいことではないと感じます。「正しい子育て」をするよういつも社会からも自分自身からも迫られている、そんな気さえします。

「正しい子育て」という意味でいえば、いつも私が「正しい選択」をしていたなら娘は不登校にはならなかったのでしょうか。わかりません。結局、気持ちは娘に寄り添うことを最優先にして、でも仕事量を減らさないという決断をしたわけですが、「仕事を辞めるべきだったのか…」と思い悩む日々は続きました。ですが、ある時期から、自分と子どもを信じて「力ずくで納得して前に進む」そういった「潔さ」を身につけて行くしかない…と思うようになりました。

見方によっては「勝手」と取られるかもしれませんし、実際に私自身かなり勝手な生き方をしてきたと思います。しかし「勝手でごめんなさい」と言えば、苦労を引き受けた子ども達は何かに溜飲を下げるのでしょうか…。むしろ、月並みですが「ありがとう」と心から言えるよう自らを潔くし、周囲の理解に自分なりに報いるだけの「『自分が』満足できる成果」を出したいと思える意志を強く持ちたい、と思うようになりました。

自業自得、因果応報、人間万事塞翁が馬…事が発生した後ではなんとでも理由付けは可能ですが、そうした理由付けの多くはこと子育てに関してはあまり意味がないように感じます。先日、翻訳者の知り合いがTwitterに書いていたのですが、そのくらい「子育てには親の努力や根性では乗り超えられない壁が多すぎる」と思います。ですから、壁の原因を探して対処療法ばかりに走ったり責めを延々と自分で受け止めて苦慮したりするより、変えられない過去をどう受け入れるのかに注意を向けられたら、と思います。あるいは、何の根拠もなく「とりあえずこれでいい」と信じることができればそれでもいいように思います。

また、何かを「する選択」があれば「しない選択」も有ります。よく「後悔するくらいならなんでもやってみよう!」と言われますし私もそう思います。そういう思想の持ち主なら子育ての環境の中で何かを「しない選択」をすることは、「する選択」をするのと同様に勇気が必要なはずなのです。ですから、矛盾して聞こえますが、子育をしながら何かを「しない選択」をすることを後悔する意味も無いように思うのです。

私のように東京へ出る選択をせず広島でがんばるママさん通訳、フリーランス通訳ではなく敢えてインハウス通訳者としてがんばるママさん通訳、海外在住で東京へ通いながら仕事するママさん通訳を知っています。もっというと、地方在住の家族と離れて東京で単身赴任しながらがんばるパパさん通訳もいます。それぞれ、子どもや家族との関わり方は異なり、どんなリソースのかけ方をするのかはけして同じである必要はないはずです。つまり、親として何が正しいかを決める(信じる)のはやはり自分でしかないと思います。

もし、あなたがお子さんを持つ働くお父さんあるいはお母さんなら、沢山考えて悩んで自分の行きたいと信じる道を選んで下さい。その後に続く「自分の感情と折り合いをつける」ということも「自分の納得できるような成果を出す」ということも、とにかく難しいことばかりです。でも、同時に「自分の選択を許してくれる環境」に素直に感謝することは、勇気をもって決断した自分を信じ「今を受け入れながら」歩いて行ければ自然にできるようになる気がします。

かくいう私もまだまだ「これでいいのだ!…よね?」と自問自答しながら歩みを進めているので、説得力は今ひとつ…かもしれません。ただ、子どもはいつまでも「こども」ではなく必ず成長します。子どもの成長とともに自分の気持ちとゆっくりでも「折り合い」をつけていけばいいのではないでしょうか。

娘の例で言えば、不登校はけして「解決」したわけではなく「その時期を過ぎた」だけだと思っています。当時の私の行動を判断すれば、私は「正しくなかった」かもしれない…という痛みは有ります。ただ、娘の方も当時なぜ不登校になってしまったのか彼女自身「わからない」ところもあるようです。そして「わからない」をそのまま残して前に進んでもいいと今は思っています。

正直なところ子ども達が「かあさん」である私をどう受け止めてくれているのかまったくわからないのですが、私の方は成長した子ども達を彼らが小さかった当時とはまた違う形でいっそう愛おしく思えるようになりました。そんな今の自分は幸せだと思います。そして私のキャリアはまだまだ長い道のりではありますが、目指した当初と変わらず「仕事したい。きっとまだ上手くなれるはず」そう思える会議通訳という仕事に出会えたことを、やはり幸せだと思います。

「子育てと仕事の両立」の形はけして一つでは無いはずです。そもそも「両立」という言葉の正しさはどこにあるのだろうか?と考えずにはいられません。

なんだかちょっと両立論とはちがってしまったかも…(苦笑)

2016年5月1日

キャリアと子育てー 前編「私の場合」

つい最近、ある女性会議通訳者がアクル社ウェブサイトの「現役通訳者のリレー・コラム」に「フリーランス通訳と子育ての両立」というテーマで寄せたコラムを読んで、根底にあるメッセージは同じかもしれないけど、私が書くと違うものになりそうだと感じました。実は、個人の置かれている環境は人それぞれであるため、「生き方」の類で持論を展開したところで何か他の方の参考になるようにも思えず、このブログではなるべく子育てや家族といった個人環境については取り上げないようにしてきました。ですが、私の歩いた道のりの中で考えたこともどなたかへのヒントとまではいかなくても、何らかの形で勇気づけることができるかもしれない…と、先の女性通訳者のコラムを読んで気付いた次第です。

くだんのコラムの通訳者との大きな違いは、私はまだ通訳者としての実力も実績も十分でない時期から子育てが始まっていたということ、さらに地方で活動していたということです。その辺りも意識しながら、私がフリーランス通訳者として今に至る経緯も書いて見たいと思います。少し違った切り口ではありますが、数年前のハイキャリアさんインタビューのVol.52 「ワークはライフ、ライフはワーク(前編)(後編)」の中でも書いていますのでご興味がある方はどうぞ。

私はご存知の通り広島はマツダ株式会社のお膝元在住です。マツダといえば90年代後半にかけてアメリカのフォード社との提携関係を強め(トップに多くのフォード役員が名を連ねた時期がありました)当時のマツダ広島本社では常に嘱託社員待遇の通訳者の募集をしていたと記憶しています。私自身、英語を勉強すれば通訳でなくともマツダに職を求められるかもしれない…という計算はどこかに芽生えていたように思います。

ところが私が英語の勉強を始めたのが96年頃で、通訳どころか英語を一からやり直すという有様。同年に生まれた娘は今年20歳になりますが、娘を出産して一年半後には長男も生まれ、同時期に通訳学校に通い始めたものの勉強のペースはなかなかままなりませんでした。幸か不幸か夫は長女が幼稚園の年中の頃まではほぼ単身赴任状態でしたので、子どもが寝てから後の時間をすべて自分の時間として勉強に捻出していたという感じです。

通訳学校に通い始めたきっかけはある通訳者の講演会を聞いて触発されたことだったのですが、当時は必ずしも「通訳」を目指していた訳ではありませんでした。子育てで家庭に入ったことで社会と隔絶されてしまった自分に打ちひしがれていたところへ、「英語」「マツダ」「広島」というキーワードでなんとか社会復帰しよう…と先の見えない道を進んでいた感じです。

そもそも社会からの疎外感の根源にあったのは「経済的に自立していない自分」に気付いてしまった時の衝撃でした。そして、小さな子どもを育てている多くの親御さん達が経験する事だと思いますが、私にも不安にとりつかれ精神的に安定しない時期がありました。夫の単身赴任ですべての子育て責任を自分で果たさなければならない状況で、精神的に揺れてしまう自分…。悩んだ末「精神的な自立のためには、経済的な自立が必要」と意識的に考えるようになるのは、長女が小学校に上がる頃でした。

子ども達を平日の昼間に公立の一時保育に預け通訳学校にでかけました。二人を連れて半年間オーストラリアへも留学しました。小学校一年の娘に学童保育から帰り道の託児所に三歳にならない長男を迎えに行かせて、フルタイムの派遣の仕事に出はじめました。その間に夫の単身赴任は終わりますが、家事分担のバランスが分からず数ヶ月ごとに過労で倒れます。家事のペースはなかなかつかめないまま、それでもフルタイム派遣の仕事で残業も進んで引き受け、下の子が小学校に上がると海外出張へも行くようになります。一時病気入院をしたことで派遣切りの可能性を現実味をもって認識、フリーランスへの種まきを始めます。そしてそのうちリーマン・ショックで派遣切りが現実となり、本格的に東京へと仕事へ出かけるようになり今に至ります。

こうしてみると私はけして子育てと仕事を上手く両立できているとは言えず、自分は好きに自分の選択をしてきただけで、むしろ、子どもが健康で無事に「運良く」育ってくれたと言ったほうが適切なように思います。幸いなことに、好き嫌いせず何でもよく食べる子ども達でアレルギーもなく、病気も人並みにしたという程度です。そんな状況で「子育ての苦労をした」と言うにはあまりにも傲慢なように思えます。

一方、子どもたちはやはり「苦労」ともしらず苦労していたのではないかと思います。通訳学校に通うために預けた一時保育に泣き叫ぶ二人を置き去りにしました。幼稚園のお迎えはいつも最後。留学先へ無理やり父親と引き離し連れて行き、帰国当初は「父さんと離れるならもう行かない」と言った息子の言葉が忘れられません。そして一番辛かったのは高校生になった娘の不登校でした。

これはつい数年前のことです。私の東京滞在中に「今日も休んでる」という連絡を受けては、一人自宅マンション10階にいるであろう娘を思うと生きた心地がしませんでした。夫も何度となく彼女を学校まで送り届け、出勤までに登校しなかった日は会社を早退して様子を見に帰りました。「信用して大丈夫、お母さんが仕事に行けば『なんだ!』と反抗心も出るけれど、休めば『自分のせいで休んだ』と思うのだから、普段通りに振る舞って」という学校の先生の心強い言葉にすがるような気持ちで、東京での仕事のペースは結局は落としませんでした。それでも気持ちが落ち着くということはもちろんありませんでした。

これまで教えた生徒さんや友達から「どうしてそこまで(犠牲を払うことが)できるんですか?」と何度も聞かれましたが、本当のところを上手く説明することはできませんでした。ただ言えたのは上述した「精神的な自立を得るために、経済的な自立をしたかった」ということだけです。ですがそのために家族にかけた負担や東京往復にかかる経済的そして肉体的負担は膨大であり(今もそれは続いているのですが…)それでも根底で私を支えているものについて説明することは難しいので止めておきます(笑)

しかし一つ言える事があります。それは「通訳という仕事を見つけたこと」が自分にとってとても大きかったということです。「経済的な自立」だけを目指すのであれば、当時であれば派遣社員をした後に正社員で働くことはまだまだそれ程難しくありませんでした。実際に幾つか英語を使う別の職種で熱烈に正社員職へのオファーも受けましたが、それらをすべて断れるだけの思い入れを「通訳」という仕事に見いだしました。他に専門が無ければ英語/語学を学んでできる仕事は「通訳」「翻訳」「教える」の3つで、そのすべてを経験しましたが「自分は通訳が好き、上手くなりたい」と素直に思えたのです。この「通訳」という仕事への思い入れが、その後の私を支え続け、今も支えてくれています。その上で「上手くなるにはどうすればいいか」を常に考え最優先させてきたように思います。

と考えてくると、全然両立へとたどり着かない…(苦笑)

何度も言いますが、私は幸運だったのです。ここまでなんだか全然勇気づけの要素なく、参考にならなそうな仕上がりですが、もう少しお付き合い下さい。

2016年3月23日

Hiroshima's Revival 発売

広島在住のお友達 Pauline Baldwinさんの翻訳による「Hiroshima's Revival」(「広島の復興」英語版)がフタバ図書さんで発売になったそうです。私もまだ忙しくて手に取れていないのですが、Amazonの評価は上々で早く読みたいと思っています。(下記リンク先はAmazonで日本語版書籍です)

広島の復興 / Hiroshima's Revival

広島は世界で最初の被爆都市としてあまりにも有名ですが、悲惨な過去から復興して今ではとても美しい町に生まれ変わっています。そのことも多くの人に知って欲しい…と、随分と長いこと考え続けていました。

原爆の悲惨さを訴え続けることは二度と被爆者を生み出さないという決意を新たにするに必要なことですが、同時に人間の生きる力の力強さや尊さを、廃墟の中から立ち上がった広島の人々に感じてほしいと思うのです。世界中で戦争やテロ行為がほぼ日常的におこなわれている現在、打ちのめされてしまった人々に希望を与える事のできる存在もまた重要だと感じます。

この一冊が世界中の災害、戦争、テロ等に見舞われた多くの傷ついた人々の手に届き「人間を信じること」に希望を与える存在になればいいと願っています。

4月には本書籍の市長による記者発表がおこなわれるそうです。みなさんも書店、Amazonなどでぜひチェックして、可能であればお友達に紹介して下さると嬉しいです。

2016年3月12日

翻訳者・通訳者の矜持 ー AlphaGo vs. Lee Sedol の対戦に思う

機械翻訳は超低品質(論理的文章の体をなさない)とされその訳文をネット上でたびたび糾弾されています。しかし、機械翻訳品質が向上して上手くはないが使える訳文を出すようになれば、ネットに氾濫する悪文に慣れきった人々はそれが機械翻訳とも気付かないかもしれません。

仮にその状態が長く続き翻訳者が「人間翻訳は大丈夫」の態度を続ければ、刻々と起こりつつある機械翻訳の劇的な品質の向上に気付かないまま、ある日突然に翻訳者がまとめてお払い箱になるという事態が起きてもおかしくありません。…とは極端でしょうか。私はどうしてもそう思えないのです。

翻訳者がいつまでも「今の機械翻訳レベル」を批判し続けることにあまり意味がない、そのことに気づかないといけないと思うのです。でなければ当然、気付いたら「機械翻訳で十分足りるのであなたは要りません」という時代が来る。私が問題だと思うのは「いつ来るのか」の判断を「人間翻訳は大丈夫」とうそぶいて翻訳者自身が放棄し、現実を見ようとしていない(ように見える)ことです。

昨今の機械翻訳技術の進歩は、いわゆるAI(人工知能)の進歩に続くものになるのは間違いありません。むしろAIがたどるであろう、解釈・論理構築・思考・試行・実行というプロセスを考えれば翻訳はその影響を直に受ける分野と言えるのではないでしょうか。私も一昨年末から仕事がらみでAIについて勉強することが数回あり、大変注目をしていました。数冊AI関連の本を読んだり勉強会に出席するなどしましたが、AIのロジックなど難しくて理解するのを放棄したい気になる感じです。しかし、カナダ・トロント大学から始まったDeep Learningの出現によりコグニティブコンピューティングの基礎が固まり始め第三次AIブームが到来した言われる現在、第一次、第二次とは違った大きな波が来ていることくらいはうっすら理解できている、そんなレベルにはありました。

ですが「人間翻訳」が負ける日は必ずやってくると考えながらも、機械翻訳の急速な(向こう10年程度の)能力向上には懐疑的で、私が生きている間は少なくとも影響ないかなぁ…となんとなく呑気に考えていました。ところが、昨年GoogleがTensorFlowのオープンソース化を発表し、それに関係する記事を読み始めた頃から十分読める機械翻訳の可能性について危機感をひしひしと感じるようになりました。そして先般のAlphaGoと韓国人トップ棋士Lee Sedolの対戦でLee氏が敗れ「一度も優勢に立てたと思わなかった…」と発言したことには衝撃を受けました。向こう10年は…などという考えはもう通用しないような気がし始めています。

翻訳はこれまでの翻訳物がデータとして残っているため、AIに学習させるためのリソースは大量に存在しています。もちろん、正しい(望ましい)リソースを選別して分野に最適なLearningをさせることが必要になりますが、産業界にニーズがありビジネスの可能性が大きくあるのであれば、実用はそれ程難しくはないし業界(翻訳)への適用はかなり早い時期に実現すると考えられます。

日本の大きな翻訳者団体でも機械翻訳の訳文を評価する試みが行われているようです。私が読んだレポートによれば、機械翻訳の訳文は機械翻訳を提供するサービス側では好意的に見られ、翻訳者にはかなり批判的に評価されていたようです。ただ、評価の対象となっている機械翻訳のプログラムレベルが圧倒的に最先端技術とはかけ離れたところにあるものであり、業界をリードする翻訳者団体が将来的な機械翻訳の可能性を全く議論せず、専門的な知見を殆んど取り込んでいないように見えたことは大変残念に感じました。

機械翻訳が「使えるレベル」になる日は必ず来ると思います。それは「いつ」なのか?恐れたところで翻訳者(通訳者も)は「人間にできる」事を今までどおり地道に努力して続けていくしか有りません。ですが、いつまでも現実から目を背けて「人間翻訳優位」を信じ続け機械翻訳をこき下ろしてばかりいていいのでしょうか。それは個人の翻訳者も翻訳会社も同様です。

むしろ、業界は積極的に機械翻訳の発展に貢献することで、機械にできないことは何なのかを翻訳者や通訳者に提示するという姿勢を持って欲しいと思います。そして、翻訳者も通訳者も「機械翻訳」の動きを揶揄するような口調をやめ、生き残るために着目すべきは何か(あるいは、生き残れるのか…?)を、より積極的に考えるべき時期に来ている。そんな風に感じます。そして、その姿勢こそが人間翻訳者・通訳者の矜持ではないかと考えます。

2016年1月27日

フォード日本撤退のニュース

今週月曜日に、自動車メーカーのフォードが年内の日本市場からの完全撤退をアナウンスしました。詳しくはこちら(フォード公式サイト:重要なお知らせ)

そして今週のお仕事が広島案件ウィークであることは私にとってとても感慨深く、もちろんフォード撤退のニュースのタイミングは単なる偶然でしかないのですが、いろいろな思いが巡っています。

思えば英語を使う仕事ということでWEBコーディネーターの肩書きで、専業主婦から派遣社員として社会復帰した会社が当時のフォードアジアパシフィックでした。

二人の子供は未だ幼稚園の年少と年中、夫は単身赴任中。一人で子育てすることや自分自身の精神的経済的自立をとにかく悩み抜き、家にこもっていることが限界に来ていた時期に職探しを始め、運良く9:00-15:00のパートタイムのこの仕事に着くことができました。

一年弱務めた頃に子供達を連れてオーストラリアに半年留学するため退職。ですが、帰国後も主に自動車部品サプライヤー数社を経てマツダで働くようになる中で、フォードという存在があったからこそ広島で通訳修行を積むことができた、と言っても過言ではありません。

今日はたまたまマツダベンダーのお客様について古巣マツダでのお仕事でしたが、マツダ在籍時代も沢山のフォードエンジニアの皆さんにお世話になった…と、一人一人の顔が思い出されました。

退職直前まで専属でついていたイギリス人の彼、どうしてるのかな…。

一時代が終わった感がとても強いけれど、時代にただ流されるのではなくて時代とともに前に進まなきゃな、と気持ちを新たにしています。

2016年1月18日

1月31日「広島で通訳を語る」会

地方で通訳としてキャリアアップすることに悩みを抱える人達は多いと思います。私も例外ではなく、今もその只中にいます。皆さんと話をする中で、参加者の一人ひとりが自分に開かれている可能性について探ることのできるチャンスになればいいと思っています。

お申し込みはコチラから

あまり堅苦しく考えておらず、参加者の皆さんとお菓子をつまんでお茶を飲みながら自由にお話したいと考えています。特に広島にはかつて勉強をともにした仲間や、派遣時代の同僚、そして数年前まで教えていた生徒さん達もたくさんいます。懐かしい方々や、また新しく広島で同僚として一緒にキャリアアップを頑張れる方のご参加も歓迎です。

また、広島以外の地方で通訳キャリアを重ねておられる方も数多くいらっしゃると思います。当日話した内容は、こちらで簡単にですがまとめてご報告という形を取ろうと思いますので、ご質問や「こういう地方でのキャリアアップ方法がある」というご提案があれば、ぜひ申し込みフォームからご連絡下さい。報告の際は特段の指定がない限り、質問者は匿名といたします。
「広島で通訳を語る」会

【日時】
1月31日(日) 13:15 - 16:15

【場所】
広島アステールプラザ 中会議室

【対象】
フリーランス・インハウス通訳者、通訳勉強中の方

【内容】
1.広島の通訳市場について 派遣編
2.広島の通訳市場について フリーランス編
3.地方でのキャリアアップの仕方について
4.Q&A

【参加費】
500円 (会場で集金いたします)

【参加人数】
15名程度

2016年1月10日

2016年もよろしくお願いします!

ブログ更新ができないでいるうちに、すっかり年が明けてしまいました。

昨年前半は年明けから(一時的な)義母の介護で始まり、同時に娘の受験・進学、そして5月には私自身が入院というイベント続きでした。後半は、退院後も三週間ほどで仕事を再開してしまい少し「しまった…!」と思いつつも程なくすっかり体力も回復して年末まで走り抜けた感じです。そんな中、年末には現代アートのシンポジウムでのお仕事という新しい分野を経験し、個人的に大変興味をそそられました。通訳の仕事納め後は、古いお客様から久しぶりに翻訳のお仕事を頂き、自宅でじっくり腰を落ち着けて作業に取り組みました。自分の得意な分野でもあり翻訳作業は悩ましいながらも楽しみながら進めることができ、無事に最終稿を28日に納品。例年通り駆け抜けた感が満載の一年となりました。

「新年の抱負」を語るのが順当なのかもしれませんが、少しでもよく、少しでも上手く、少しでも仲良く、少しでも元気に!…という感じで、いつも走りながら小さな目標が見えてくるタイプなので、敢えて「今年の目標」ということは定めていません。なので、今年の抱負に代えてお正月から読んだ本を何冊かご紹介します。
アートは資本主義の行方を予言する
(PHP新書) 新書 – 2015/9/16

お正月からは現代アート関連の本を読み漁っていました。先のシンポジウムで業界でも有名なアートディレクターやキュレーターの方々にお会し、気取らない、でも熱く現代アートを語るその姿勢に惹かれたためです。その中でも読み応えがあった一冊は山本豊津著の「アートは資本主義の行方を予言する」です。アートを文化として経済活動の中で育む事の意味というのを明快に説明してくれています。アートに投資することが国家戦略として非常に重要であることが、近代史をなぞりながら筆者の豊富な知識を背景に理路整然と語られています。大変読み応えがある本でアートに関わる人達の情熱をひしひしと感じることができました。

現代アートの追加注文書籍が届くのを待つ間、先に届いた小鷹信光氏の「翻訳という仕事」と、昨年の9月に購入して以来ずっと積ん読本になっていた近藤正臣氏の「通訳とはなにか――異文化とのコミュニケーションのために」を読みました。
翻訳という仕事
(ちくま文庫) 文庫 – 2001/8

恥ずかしながら小鷹氏はお名前しか存じ上げず、昨年末に逝去のニュースをお聞きして残された作品の品質について大変評価の高い方だと知り、既に絶版になっているこの本は中古で取り寄せたものでした。ハードボイルド物を多数訳しておられるということもあり、軽妙でぐいぐい読ませる文体は圧巻でした。特に、人の手による訳文をバッサバッサと斬っていく翻訳評価のパートはハラハラ…当時としては画期的な試みだったことでしょう。それでも不遜な印象を残さずに終われているのは氏のお人柄と本質を突いた内容故であろうと思われます。また「翻訳専業ではなく物書きである」と自称しながらも、氏の翻訳にかける思いとその思いに牽引されながら培われてきた文章技術の高さもその文体・語り口に表れており、改めて「翻訳はおもしろい!」と思わせてくれる、手元に置いて時々読み返したい貴重な一冊となりました。
通訳とはなにか――異文化とのコミュニケーションのために
単行本(ソフトカバー) – 2015/8/8

近藤正臣氏といえば、今の日本の通訳業界でも最も経験年数の長い通訳者・研究者のお一人でしょう。この新刊はご自身の通訳経験と研究を一般読者向けにまとめた集大成という位置づけではないかと思われます。ところどころ通訳理論の説明が細かくされているのですが、その辺りになると一般の人には少し分かりにくいかなと感じました。また、誤字脱字が散見されたのは非常に残念。小鷹氏の文章を読んだ後でしたので、いっそう(よくない意味で)「いかにも通訳者の文章」という感じが際立ちました。技術的理論は敢えてそぎ落として仕上げられた方が一般読者には通訳という仕事の魅力をより効果的に伝えられたのではないかと思いました。

今は引き続き現代アート関連の本が数冊待っているのと、それに絡んで近現代史をおさらいしておく必要性を強く感じて、まずは日本の近現代史の解説本を読んでいます。昨年は読書量がかなり落ち込んでいたこともあり、こんな感じでせっかく読書三昧で始まった2016年ですので、この勢いを止めずに今年は読書量を増やそうと考えています。

本年もどうぞよろしくお願いします。

宮原 美佳子
ピースリンク通訳事務所