「同時通訳はやめられない」 袖川 裕美 著
私が同じ通訳者という立場なので、言うまでもなく共感する事ばかりです。しかしながら著者は、私が同じレベルで「そうそう!」と頷くのが正に「おこがましい」、経験も実力もある通訳者です。それでも読み進めながら「そうそう!」と思わず感じさせてしまうその文章には、著者の構えない偉ぶらない人柄を感じずにはいられません。
著者は長い通訳キャリアの持ち主であり、その中で担当された分野は多岐に渡ります。特に、バブル後期から通訳業界に身を置かれてきたことで、日本という国家の文化的そして政治的な世界での位置付けの変遷について得られたとみられる知見は膨大であることが伺えます。これには舌を巻くより他ありません。一方でご自身が心酔されている音楽家を端緒、クラシック音楽の分野で著名な音楽家の通訳業務にも次々と携わられた他、スポーツでも多くの選手や監督の通訳を担当されています。それぞれについて著者自身の印象を書き記されています。その文章には著者の飾らない、でも「おもしろい物、人、見たい!」というガッツというか好奇心が全面に出ており、読んでいるこちらも「そんなドラマが有ったのか」と引き込まれてしまいました。
今まで通訳者として技術的に素晴らしいと感じるパフォーマンスをする同僚や先輩には多く出会いました。ですが、フリーランスとしてビジネス抜きで他の通訳者と付き合うことのできる場面はごく限られています。人間的にお互いを深く知り合うほどのお付き合いはなかなか難しいのです。ネットは素晴らしい情報源ですが、一方でネット情報はどこかマーケティングに寄りがちな気がして、最近どうしても少し斜に構えて読んでしまうのは、私の悪い癖かもしれません。そんな中、この一冊からは著者の等身大のお人柄が立ち上がり見えるような気がして、またそのお人柄がとても尊敬すべき慕わしいものに感じられました。
以下にそれを印象付け「きっと間違ってない…」と私自身がキャリアの模索で感じている迷いを受け止めてくれた部分を引用します。
「あとがき」より
…結果、本格的に勉強しようと大学院に行くことにした。
私は、それでも、この時、英語が「大体」わかるようになったと思っていた。だが、この「大体」が曲者で、その後ずっと今日に至るまで「大体」が続いている。確かに理解できる量は増えてはいるが、すべてを完璧に分かることはない、
自信を持ちかけては失い、失っては持ちかける。これがどこまで行っても繰り返されるように思える。それでも、去年より今年のほうが少しマシになっているのではないか。こう感じられる限り、通訳をやっていきたいと思っている。
こんな方が自分の業界の(やはりとてもおこがましいのですが…)大先輩でいて下さる事をとても誇らしく嬉しい…という、爽やかで身の引き締まる読後感。私にとってはそんな一冊となりました。
蛇足ですが…
私は著者程の経験はないものの、比較的様々な業界で満遍なくITに関わるお仕事をお引き受けしています。バブル期以降のITの世界でインターネットの普及にともなう世界経済、政治、ビジネス、人々の生活や振る舞いの変容を、どなたか「通訳者は見た!」的に、業界別、分野別に書いて下さらないかな…。そして来るべき「Google通訳」の時代について考察してもらえれば、是非読んでみたい…です。よろしく(笑)