アメリカの大統領選挙に絡んで、ニュースでヒラリー・クリントンやドナルド・トランプのスピーチがボイスオーバー翻訳付きで放送されることが増えました。先日、NHKニュースの中でもヒラリーのスピーチが女言葉でアフレコされていた事が問題視され、改めて「スピーカー本人の人となりを勝手に解釈し印象付けを行うのは情報操作の一環ではないか?」といった問題提起が見られました。
例えば、黒人のラッパー少年が話すと「俺は」になるのに、ジャスティン・ティンバーレイクが話すと「僕は」になるのは、そこにステレオタイプな印象操作が関与しているとされても仕方がない気がします。そして確かに、必要以上のそうした脚色には違和感を感じるものです。
しかし、通訳を考える時、これはとても重要な問題で、通訳がinterpretation(解釈)と言われる所以でもあります。幸いで、「俺」「僕」などというような現場に遭遇することは通常ビジネスの場ではまず有りません。ですので、上記で述べた例での印象操作につながるようなリスクはほとんどありませんが、解釈する主体としてそのリスクは理解しておくべきだと、このニュースを聞き改めて感じました。
実際、時に白熱した会議の場所などでは感情に任せて極端な発言が出てくる場合もあります。結局、正解はその場その場にしかなく、通訳者がその場で様子を見ながら判断、解釈して訳出するしかないと考えています。関連して、思い出される同僚から聞いた話があります。
スピーカー: I think this is f***ing crazy!
通訳者:正気の沙汰とは思えません!
正直あっぱれだと思いました(笑)が、Fワードが入っている時点で「正気の沙汰ではない」という言葉の「上品な選択」が不釣り合いになってきます。
あぁ、言葉は難しい…
2016年10月12日
2016年9月30日
JTF翻訳祭プログラム発表
JTF翻訳祭のプログラムが発表になりました。実はここ数年、翻訳祭には出席していませんでした。私の場合、翻訳、通訳の二足の草鞋ではありますが、どうしても通訳業務が多くなる傾向にあり、繁忙期の真最中に開催される翻訳祭にはなかなか足が向きませんでした。
ところが今年に入ってから理事が入れ替わり、翻訳会社の方々よりもフリーランス実務翻訳者が数多く運営に携わることになり、さらに一部の関係者から「今後は通訳業界についてもカバーしていく」という話も漏れ聞こえていたことから、翻訳祭のプログラム発表はとても楽しみにしていました。
JTF翻訳際プログラム
https://www.jtf.jp/festival/festival_program.do
具体的に中身を見てみると、トラック6に通訳枠が当てられているようです。この中でも個人的には通訳トラックは、ISS西山さん、立教の武田さんあたりがボチボチ目玉だと見ています。
どちらかというと同業のフリーランス通訳者の現場での生の声を聞いてみたいと思っていたのですが、いずれも、通訳エージェント、通訳学校、大学からの登壇です。そこは、今後のJTFの通訳関連の活動にも期待したいところです。
しかし、別トラックで面白そうなのが!
トラック6
セッション4 対談 16:30~18:00
BBCエディターに聞く報道の現場と翻訳・通訳
以前、このセッションでモデレータを務める予定の松丸さんとお茶した時に、BBCでボイスオーバーの仕事の様子を興味深く聞かせて頂いたことがありました。与えられたニュース素材を自分で訳し、映像に載せて自分でナレーションまでを担当するそうです。ちょうど翻訳と通訳の中間のような仕事だと感じながら聞きました。このパネルでは
ということで、期待が膨らみます。申し込みは済ませましたが支払いがまだ…。油断できません。今年は申込み開始からペースがかなり速いとTwitterで読みました。
まだ少し先になりますが、会場で私を見かけた方は遠慮なくお声がけ下さい!
ところが今年に入ってから理事が入れ替わり、翻訳会社の方々よりもフリーランス実務翻訳者が数多く運営に携わることになり、さらに一部の関係者から「今後は通訳業界についてもカバーしていく」という話も漏れ聞こえていたことから、翻訳祭のプログラム発表はとても楽しみにしていました。
JTF翻訳際プログラム
https://www.jtf.jp/festival/festival_program.do
具体的に中身を見てみると、トラック6に通訳枠が当てられているようです。この中でも個人的には通訳トラックは、ISS西山さん、立教の武田さんあたりがボチボチ目玉だと見ています。
どちらかというと同業のフリーランス通訳者の現場での生の声を聞いてみたいと思っていたのですが、いずれも、通訳エージェント、通訳学校、大学からの登壇です。そこは、今後のJTFの通訳関連の活動にも期待したいところです。
しかし、別トラックで面白そうなのが!
トラック6
セッション4 対談 16:30~18:00
BBCエディターに聞く報道の現場と翻訳・通訳
以前、このセッションでモデレータを務める予定の松丸さんとお茶した時に、BBCでボイスオーバーの仕事の様子を興味深く聞かせて頂いたことがありました。与えられたニュース素材を自分で訳し、映像に載せて自分でナレーションまでを担当するそうです。ちょうど翻訳と通訳の中間のような仕事だと感じながら聞きました。このパネルでは
…正確性、即時性が求められるニュースの現場における理想的な翻訳者・通訳者像とは何かを探る…
ということで、期待が膨らみます。申し込みは済ませましたが支払いがまだ…。油断できません。今年は申込み開始からペースがかなり速いとTwitterで読みました。
まだ少し先になりますが、会場で私を見かけた方は遠慮なくお声がけ下さい!
2016年8月20日
「通訳翻訳ジャーナル2016秋号」に掲載されました
通訳翻訳ジャーナル2016秋号が本日8月20日(土)に発売になります。
この中で私も取材を受けました。写真がデカすぎて個人的にはドン引きです。「首のシワをフォトショして」とお願いしようと何度考えたか分かりません。その上、写真撮影があるなど思いもせずうかつに適当な格好をして行ってしまいました。「ちなみに某有名通訳者はポーズからお衣装までバッチリでしたよ」と言われてしまい、余計にウガウガガガガ…どぉしろと。
閑話休題。テーマは「これってハンデになる?ならない?」で、私の場合は「地方在住」が想定ハンデでした。学習はどこにいてもできますが、実績を得て実力を付けるには地方在住はやはりハンデであり、そうでないと言い切ることは私にはできません。
ざっくり言うと「通訳の実力とビジネススキルとの両方を東京で磨くことで、東京だけでなく地元での案件開拓につなげることができた」という流れになっています。
広島での稼働はフリーランスデビュー当初に比べれば格段に増えました。しかし市場の仕事量は東京が圧倒的に多いため、どうしても年間の稼働日数を比べると東京が上回ります。このような状況で果たして「地方在住」と言えるかどうか…微妙なところです。
ただ、地方に居ながら蒔いた種は確実に芽を出しているので、そういった細々した事に目を留めて頂きご自分の環境に合うものがあればトライして見て欲しいと思います。お役に立てれば幸いです。
ご意見やコメント等あれば遠慮なくお寄せ下さい。
この中で私も取材を受けました。写真がデカすぎて個人的にはドン引きです。「首のシワをフォトショして」とお願いしようと何度考えたか分かりません。その上、写真撮影があるなど思いもせずうかつに適当な格好をして行ってしまいました。「ちなみに某有名通訳者はポーズからお衣装までバッチリでしたよ」と言われてしまい、余計にウガウガガガガ…どぉしろと。
閑話休題。テーマは「これってハンデになる?ならない?」で、私の場合は「地方在住」が想定ハンデでした。学習はどこにいてもできますが、実績を得て実力を付けるには地方在住はやはりハンデであり、そうでないと言い切ることは私にはできません。
ざっくり言うと「通訳の実力とビジネススキルとの両方を東京で磨くことで、東京だけでなく地元での案件開拓につなげることができた」という流れになっています。
広島での稼働はフリーランスデビュー当初に比べれば格段に増えました。しかし市場の仕事量は東京が圧倒的に多いため、どうしても年間の稼働日数を比べると東京が上回ります。このような状況で果たして「地方在住」と言えるかどうか…微妙なところです。
ただ、地方に居ながら蒔いた種は確実に芽を出しているので、そういった細々した事に目を留めて頂きご自分の環境に合うものがあればトライして見て欲しいと思います。お役に立てれば幸いです。
ご意見やコメント等あれば遠慮なくお寄せ下さい。
2016年8月19日
小さな平和
夏休みを利用してイギリスのロンドン・エジンバラに駆け足で旅行してきました。一週間と短い滞在でしたが私なりに満喫して帰りました。個人的な旅行の思い出は沢山あるのですが、通訳翻訳の脈絡では、偶然にもステイ先のホストが英露翻訳者だったこと、そしてこの一枚の貼り紙を見つけた事がちょっとしたイベントでした。
これはウェストミンスター大聖堂の塔の上にあるエレベーターの横に貼ってあった一枚の注意書きです。旧式で反応が遅いエレベーターに苛ついて連打する人が多いのでしょうね(笑)
これはウェストミンスター大聖堂の塔の上にあるエレベーターの横に貼ってあった一枚の注意書きです。旧式で反応が遅いエレベーターに苛ついて連打する人が多いのでしょうね(笑)
元の文章は Press the button once only. です。これを各国語に訳した文章が並んでいるのですが、訪れた人たちが自分の言語の翻訳を添削したり、自分の言語の翻訳を追加したりしています。
知りたい、広めたい情報を、持てる知識を駆使して分かりやすく伝えようと多くの人が手をかけていることに「小さな平和」を見たような気分でした。
2016年7月24日
人としてプロジェクトに関わる
地元でピースリンク通訳事務所として稼働させていただくようになり、今年ではや8年を迎えました。私自身、近年のメイン稼働は東京にシフトしているのですが、広島でお声がけ頂くお客様のお仕事は最優先で取り組ませていただいています。
そんな中で、継続してお声がけ頂く案件も少しずつですが増えてきました。その一つが広島大学が取り組んでいる「フィリピン・ミンダナオのバンサモロ自治政府人材育成強化事業」への通訳支援です。
今年でかれこれ三年目、春と秋とあるので回数も随分重ねました。フィリピンからの研修生はみなさんまじめな、ですがとても明るい若者たちです。学ぼうという意欲に溢れていて、人懐っこい気質の彼らを好きにならずにはいられません。
今年の研修生を引率していた男性は昨年の研修生メンバーだったようですが、わざわざ私に声をかけてくれて「昨年も担当してくれましたよね?またお会いできて嬉しい!」と握手を求めてくれました。私もどれだけ嬉しかったことか!
フリーランスそして通訳という職業の性質上、現場で名前を覚えて頂き「仲間」として評価してもらえるプロジェクトに継続的に関われるチャンスは多く有りません。そんな中、こうした経験を得られた事は私にとり本当に嬉しい事でした。
何か出来ることはないか…?と先日こちらでもご紹介した書籍「広島の復興(Hiroshima’s Revival)」を研修生に一冊ずつ贈らせていただきました。研修時に紹介したらものすごく興味を示していたのですが、後に一冊だけお届けしたところ皆さんで早速読む順番を決めていたとお聞きして、皆さんへ一冊づつ贈呈させていただくことを決めました。
フィリピンに帰国すれば難題が山積みの彼らですが、広島で学んだことや広島の復興を肌で感じた経験を役に立てて、民主的な彼らの理想とする政府の樹立に貢献されることを願ってやみません。そのお手伝いができたなら、私も嬉しく思います。
― 謝辞 ―
このプロジェクトには私以外にも広島で活動する地元出身の複数の通訳者にお手伝い頂いています。この場を借りて、広島で志を同じく通訳業務に取り組んでいる仲間たちに感謝したく思います。ありがとうございます!
そんな中で、継続してお声がけ頂く案件も少しずつですが増えてきました。その一つが広島大学が取り組んでいる「フィリピン・ミンダナオのバンサモロ自治政府人材育成強化事業」への通訳支援です。
今年でかれこれ三年目、春と秋とあるので回数も随分重ねました。フィリピンからの研修生はみなさんまじめな、ですがとても明るい若者たちです。学ぼうという意欲に溢れていて、人懐っこい気質の彼らを好きにならずにはいられません。
今年の研修生を引率していた男性は昨年の研修生メンバーだったようですが、わざわざ私に声をかけてくれて「昨年も担当してくれましたよね?またお会いできて嬉しい!」と握手を求めてくれました。私もどれだけ嬉しかったことか!
フリーランスそして通訳という職業の性質上、現場で名前を覚えて頂き「仲間」として評価してもらえるプロジェクトに継続的に関われるチャンスは多く有りません。そんな中、こうした経験を得られた事は私にとり本当に嬉しい事でした。
何か出来ることはないか…?と先日こちらでもご紹介した書籍「広島の復興(Hiroshima’s Revival)」を研修生に一冊ずつ贈らせていただきました。研修時に紹介したらものすごく興味を示していたのですが、後に一冊だけお届けしたところ皆さんで早速読む順番を決めていたとお聞きして、皆さんへ一冊づつ贈呈させていただくことを決めました。
【頂いたお礼状】
フィリピンに帰国すれば難題が山積みの彼らですが、広島で学んだことや広島の復興を肌で感じた経験を役に立てて、民主的な彼らの理想とする政府の樹立に貢献されることを願ってやみません。そのお手伝いができたなら、私も嬉しく思います。
― 謝辞 ―
このプロジェクトには私以外にも広島で活動する地元出身の複数の通訳者にお手伝い頂いています。この場を借りて、広島で志を同じく通訳業務に取り組んでいる仲間たちに感謝したく思います。ありがとうございます!
2016年5月26日
オバマ大統領の広島来訪
明日、アメリカのオバマ大統領が戦後初めて現職の大統領として被爆地広島を訪れます。大統領の来広が決まった時にひどく喜んでいる自分自身に驚きました。
広島生まれ、広島育ちで、広島の外に出て仕事をするようになったのは35歳を過ぎてからです。広島で何が起きたのか知らない人、誤解している人が数多くいることに驚きました。「広島を見て感じる」ということを子供の頃からしてきた自分を強く感じます。
明日は私自身は仕事で広島におらず、リアルタイムで大統領の言葉を聞くことはできそうにありませんが、静かにオバマ大統領の言葉を待ちたいと思います。
とても良い記事。ぜひ。
広島生まれ、広島育ちで、広島の外に出て仕事をするようになったのは35歳を過ぎてからです。広島で何が起きたのか知らない人、誤解している人が数多くいることに驚きました。「広島を見て感じる」ということを子供の頃からしてきた自分を強く感じます。
明日は私自身は仕事で広島におらず、リアルタイムで大統領の言葉を聞くことはできそうにありませんが、静かにオバマ大統領の言葉を待ちたいと思います。
BuzzFeed
なぜ慰霊碑の向こうに原爆ドームが見えるのか? 世界的巨匠が託した思い
オバマが見る光景を作った男・建築家丹下健三
posted on 2016/05/26 18:59
Satoru Ishido
石戸諭 BuzzFeed News Reporter, Japan
とても良い記事。ぜひ。
2016年5月10日
キャリアと子育てー 後編「両立の意味」
でもそんな幸運な私でさえ「自分の感情と折り合いをつける、子どもを信じる、自分を信じる」ということがなかなかできず、一時期はかなりのストレスを抱えていました。ところが、事の只中にいる時にはそれが難しさでありストレスのもとだとは、ほとんど気がついていなかったのです。様々な局面をくぐり抜けて振り返った時「難しかったのは選択そのものではなく、どう目の前のことを受け入れるか」だった、そう理解できるようになりました。
家事と勉強、仕事を両立できずに入退院を繰り返した頃、主婦業をすべて一人でできない自分を受け入れられませんでした。専業主婦だった自分の母から潜在的に「家事は女のもの」という固定観念が作り上げられていたようです。そして、何の感情も無く嫌がる子どもを保育園に預けたり、オーストラリアへ連れて行った訳ではありません。園で別れ際に泣き叫ぶ子どもに罪悪感を募らせ、遠いオーストラリアの地で体調を崩す息子を見ては、やはり自分を責めました。ましてや平気で不登校の娘を置いて東京で仕事をしていた訳ではありません。仕事をほんの一時期控えたこともありましたが、私は娘に対する他でもない「自分の気持ち」に後ろ髪を鷲掴みにされながら東京へでかけ続けました。
今、いろんな通訳キャリアのフェーズで子育て真っ最中の方はたくさんいると思いますが、皆さんの取れる行動の選択肢はたった一つで、体を酷使し尽くしてもできることは限られています。そんななか私自身、日々「思うようにできない」という自分の感情と格闘しながらも「後悔しながら進まない」ということをやっと意識できるようになったのはつい数年前、娘が不登校になった頃だったでしょうか。
社会は暗黙のうちに「産め」というプレッシャーをかけ、産めば「産んだ自分の責任」と公然と突き放し「冷たい大衆の視線」があふれています。そういう社会の中で、目の前の子どもの求めに応じる事ができないジレンマでただでさえ引き裂かれるように心揺れる親という立場にいることは、職業を持つ持たないにかかわらず易しいことではないと感じます。「正しい子育て」をするよういつも社会からも自分自身からも迫られている、そんな気さえします。
「正しい子育て」という意味でいえば、いつも私が「正しい選択」をしていたなら娘は不登校にはならなかったのでしょうか。わかりません。結局、気持ちは娘に寄り添うことを最優先にして、でも仕事量を減らさないという決断をしたわけですが、「仕事を辞めるべきだったのか…」と思い悩む日々は続きました。ですが、ある時期から、自分と子どもを信じて「力ずくで納得して前に進む」そういった「潔さ」を身につけて行くしかない…と思うようになりました。
見方によっては「勝手」と取られるかもしれませんし、実際に私自身かなり勝手な生き方をしてきたと思います。しかし「勝手でごめんなさい」と言えば、苦労を引き受けた子ども達は何かに溜飲を下げるのでしょうか…。むしろ、月並みですが「ありがとう」と心から言えるよう自らを潔くし、周囲の理解に自分なりに報いるだけの「『自分が』満足できる成果」を出したいと思える意志を強く持ちたい、と思うようになりました。
自業自得、因果応報、人間万事塞翁が馬…事が発生した後ではなんとでも理由付けは可能ですが、そうした理由付けの多くはこと子育てに関してはあまり意味がないように感じます。先日、翻訳者の知り合いがTwitterに書いていたのですが、そのくらい「子育てには親の努力や根性では乗り超えられない壁が多すぎる」と思います。ですから、壁の原因を探して対処療法ばかりに走ったり責めを延々と自分で受け止めて苦慮したりするより、変えられない過去をどう受け入れるのかに注意を向けられたら、と思います。あるいは、何の根拠もなく「とりあえずこれでいい」と信じることができればそれでもいいように思います。
また、何かを「する選択」があれば「しない選択」も有ります。よく「後悔するくらいならなんでもやってみよう!」と言われますし私もそう思います。そういう思想の持ち主なら子育ての環境の中で何かを「しない選択」をすることは、「する選択」をするのと同様に勇気が必要なはずなのです。ですから、矛盾して聞こえますが、子育をしながら何かを「しない選択」をすることを後悔する意味も無いように思うのです。
私のように東京へ出る選択をせず広島でがんばるママさん通訳、フリーランス通訳ではなく敢えてインハウス通訳者としてがんばるママさん通訳、海外在住で東京へ通いながら仕事するママさん通訳を知っています。もっというと、地方在住の家族と離れて東京で単身赴任しながらがんばるパパさん通訳もいます。それぞれ、子どもや家族との関わり方は異なり、どんなリソースのかけ方をするのかはけして同じである必要はないはずです。つまり、親として何が正しいかを決める(信じる)のはやはり自分でしかないと思います。
もし、あなたがお子さんを持つ働くお父さんあるいはお母さんなら、沢山考えて悩んで自分の行きたいと信じる道を選んで下さい。その後に続く「自分の感情と折り合いをつける」ということも「自分の納得できるような成果を出す」ということも、とにかく難しいことばかりです。でも、同時に「自分の選択を許してくれる環境」に素直に感謝することは、勇気をもって決断した自分を信じ「今を受け入れながら」歩いて行ければ自然にできるようになる気がします。
かくいう私もまだまだ「これでいいのだ!…よね?」と自問自答しながら歩みを進めているので、説得力は今ひとつ…かもしれません。ただ、子どもはいつまでも「こども」ではなく必ず成長します。子どもの成長とともに自分の気持ちとゆっくりでも「折り合い」をつけていけばいいのではないでしょうか。
娘の例で言えば、不登校はけして「解決」したわけではなく「その時期を過ぎた」だけだと思っています。当時の私の行動を判断すれば、私は「正しくなかった」かもしれない…という痛みは有ります。ただ、娘の方も当時なぜ不登校になってしまったのか彼女自身「わからない」ところもあるようです。そして「わからない」をそのまま残して前に進んでもいいと今は思っています。
正直なところ子ども達が「かあさん」である私をどう受け止めてくれているのかまったくわからないのですが、私の方は成長した子ども達を彼らが小さかった当時とはまた違う形でいっそう愛おしく思えるようになりました。そんな今の自分は幸せだと思います。そして私のキャリアはまだまだ長い道のりではありますが、目指した当初と変わらず「仕事したい。きっとまだ上手くなれるはず」そう思える会議通訳という仕事に出会えたことを、やはり幸せだと思います。
「子育てと仕事の両立」の形はけして一つでは無いはずです。そもそも「両立」という言葉の正しさはどこにあるのだろうか?と考えずにはいられません。
なんだかちょっと両立論とはちがってしまったかも…(苦笑)
家事と勉強、仕事を両立できずに入退院を繰り返した頃、主婦業をすべて一人でできない自分を受け入れられませんでした。専業主婦だった自分の母から潜在的に「家事は女のもの」という固定観念が作り上げられていたようです。そして、何の感情も無く嫌がる子どもを保育園に預けたり、オーストラリアへ連れて行った訳ではありません。園で別れ際に泣き叫ぶ子どもに罪悪感を募らせ、遠いオーストラリアの地で体調を崩す息子を見ては、やはり自分を責めました。ましてや平気で不登校の娘を置いて東京で仕事をしていた訳ではありません。仕事をほんの一時期控えたこともありましたが、私は娘に対する他でもない「自分の気持ち」に後ろ髪を鷲掴みにされながら東京へでかけ続けました。
今、いろんな通訳キャリアのフェーズで子育て真っ最中の方はたくさんいると思いますが、皆さんの取れる行動の選択肢はたった一つで、体を酷使し尽くしてもできることは限られています。そんななか私自身、日々「思うようにできない」という自分の感情と格闘しながらも「後悔しながら進まない」ということをやっと意識できるようになったのはつい数年前、娘が不登校になった頃だったでしょうか。
社会は暗黙のうちに「産め」というプレッシャーをかけ、産めば「産んだ自分の責任」と公然と突き放し「冷たい大衆の視線」があふれています。そういう社会の中で、目の前の子どもの求めに応じる事ができないジレンマでただでさえ引き裂かれるように心揺れる親という立場にいることは、職業を持つ持たないにかかわらず易しいことではないと感じます。「正しい子育て」をするよういつも社会からも自分自身からも迫られている、そんな気さえします。
「正しい子育て」という意味でいえば、いつも私が「正しい選択」をしていたなら娘は不登校にはならなかったのでしょうか。わかりません。結局、気持ちは娘に寄り添うことを最優先にして、でも仕事量を減らさないという決断をしたわけですが、「仕事を辞めるべきだったのか…」と思い悩む日々は続きました。ですが、ある時期から、自分と子どもを信じて「力ずくで納得して前に進む」そういった「潔さ」を身につけて行くしかない…と思うようになりました。
見方によっては「勝手」と取られるかもしれませんし、実際に私自身かなり勝手な生き方をしてきたと思います。しかし「勝手でごめんなさい」と言えば、苦労を引き受けた子ども達は何かに溜飲を下げるのでしょうか…。むしろ、月並みですが「ありがとう」と心から言えるよう自らを潔くし、周囲の理解に自分なりに報いるだけの「『自分が』満足できる成果」を出したいと思える意志を強く持ちたい、と思うようになりました。
自業自得、因果応報、人間万事塞翁が馬…事が発生した後ではなんとでも理由付けは可能ですが、そうした理由付けの多くはこと子育てに関してはあまり意味がないように感じます。先日、翻訳者の知り合いがTwitterに書いていたのですが、そのくらい「子育てには親の努力や根性では乗り超えられない壁が多すぎる」と思います。ですから、壁の原因を探して対処療法ばかりに走ったり責めを延々と自分で受け止めて苦慮したりするより、変えられない過去をどう受け入れるのかに注意を向けられたら、と思います。あるいは、何の根拠もなく「とりあえずこれでいい」と信じることができればそれでもいいように思います。
また、何かを「する選択」があれば「しない選択」も有ります。よく「後悔するくらいならなんでもやってみよう!」と言われますし私もそう思います。そういう思想の持ち主なら子育ての環境の中で何かを「しない選択」をすることは、「する選択」をするのと同様に勇気が必要なはずなのです。ですから、矛盾して聞こえますが、子育をしながら何かを「しない選択」をすることを後悔する意味も無いように思うのです。
私のように東京へ出る選択をせず広島でがんばるママさん通訳、フリーランス通訳ではなく敢えてインハウス通訳者としてがんばるママさん通訳、海外在住で東京へ通いながら仕事するママさん通訳を知っています。もっというと、地方在住の家族と離れて東京で単身赴任しながらがんばるパパさん通訳もいます。それぞれ、子どもや家族との関わり方は異なり、どんなリソースのかけ方をするのかはけして同じである必要はないはずです。つまり、親として何が正しいかを決める(信じる)のはやはり自分でしかないと思います。
もし、あなたがお子さんを持つ働くお父さんあるいはお母さんなら、沢山考えて悩んで自分の行きたいと信じる道を選んで下さい。その後に続く「自分の感情と折り合いをつける」ということも「自分の納得できるような成果を出す」ということも、とにかく難しいことばかりです。でも、同時に「自分の選択を許してくれる環境」に素直に感謝することは、勇気をもって決断した自分を信じ「今を受け入れながら」歩いて行ければ自然にできるようになる気がします。
かくいう私もまだまだ「これでいいのだ!…よね?」と自問自答しながら歩みを進めているので、説得力は今ひとつ…かもしれません。ただ、子どもはいつまでも「こども」ではなく必ず成長します。子どもの成長とともに自分の気持ちとゆっくりでも「折り合い」をつけていけばいいのではないでしょうか。
娘の例で言えば、不登校はけして「解決」したわけではなく「その時期を過ぎた」だけだと思っています。当時の私の行動を判断すれば、私は「正しくなかった」かもしれない…という痛みは有ります。ただ、娘の方も当時なぜ不登校になってしまったのか彼女自身「わからない」ところもあるようです。そして「わからない」をそのまま残して前に進んでもいいと今は思っています。
正直なところ子ども達が「かあさん」である私をどう受け止めてくれているのかまったくわからないのですが、私の方は成長した子ども達を彼らが小さかった当時とはまた違う形でいっそう愛おしく思えるようになりました。そんな今の自分は幸せだと思います。そして私のキャリアはまだまだ長い道のりではありますが、目指した当初と変わらず「仕事したい。きっとまだ上手くなれるはず」そう思える会議通訳という仕事に出会えたことを、やはり幸せだと思います。
「子育てと仕事の両立」の形はけして一つでは無いはずです。そもそも「両立」という言葉の正しさはどこにあるのだろうか?と考えずにはいられません。
なんだかちょっと両立論とはちがってしまったかも…(苦笑)
2016年5月1日
キャリアと子育てー 前編「私の場合」
つい最近、ある女性会議通訳者がアクル社ウェブサイトの「現役通訳者のリレー・コラム」に「フリーランス通訳と子育ての両立」というテーマで寄せたコラムを読んで、根底にあるメッセージは同じかもしれないけど、私が書くと違うものになりそうだと感じました。実は、個人の置かれている環境は人それぞれであるため、「生き方」の類で持論を展開したところで何か他の方の参考になるようにも思えず、このブログではなるべく子育てや家族といった個人環境については取り上げないようにしてきました。ですが、私の歩いた道のりの中で考えたこともどなたかへのヒントとまではいかなくても、何らかの形で勇気づけることができるかもしれない…と、先の女性通訳者のコラムを読んで気付いた次第です。
くだんのコラムの通訳者との大きな違いは、私はまだ通訳者としての実力も実績も十分でない時期から子育てが始まっていたということ、さらに地方で活動していたということです。その辺りも意識しながら、私がフリーランス通訳者として今に至る経緯も書いて見たいと思います。少し違った切り口ではありますが、数年前のハイキャリアさんインタビューのVol.52 「ワークはライフ、ライフはワーク(前編)(後編)」の中でも書いていますのでご興味がある方はどうぞ。
私はご存知の通り広島はマツダ株式会社のお膝元在住です。マツダといえば90年代後半にかけてアメリカのフォード社との提携関係を強め(トップに多くのフォード役員が名を連ねた時期がありました)当時のマツダ広島本社では常に嘱託社員待遇の通訳者の募集をしていたと記憶しています。私自身、英語を勉強すれば通訳でなくともマツダに職を求められるかもしれない…という計算はどこかに芽生えていたように思います。
ところが私が英語の勉強を始めたのが96年頃で、通訳どころか英語を一からやり直すという有様。同年に生まれた娘は今年20歳になりますが、娘を出産して一年半後には長男も生まれ、同時期に通訳学校に通い始めたものの勉強のペースはなかなかままなりませんでした。幸か不幸か夫は長女が幼稚園の年中の頃まではほぼ単身赴任状態でしたので、子どもが寝てから後の時間をすべて自分の時間として勉強に捻出していたという感じです。
通訳学校に通い始めたきっかけはある通訳者の講演会を聞いて触発されたことだったのですが、当時は必ずしも「通訳」を目指していた訳ではありませんでした。子育てで家庭に入ったことで社会と隔絶されてしまった自分に打ちひしがれていたところへ、「英語」「マツダ」「広島」というキーワードでなんとか社会復帰しよう…と先の見えない道を進んでいた感じです。
そもそも社会からの疎外感の根源にあったのは「経済的に自立していない自分」に気付いてしまった時の衝撃でした。そして、小さな子どもを育てている多くの親御さん達が経験する事だと思いますが、私にも不安にとりつかれ精神的に安定しない時期がありました。夫の単身赴任ですべての子育て責任を自分で果たさなければならない状況で、精神的に揺れてしまう自分…。悩んだ末「精神的な自立のためには、経済的な自立が必要」と意識的に考えるようになるのは、長女が小学校に上がる頃でした。
子ども達を平日の昼間に公立の一時保育に預け通訳学校にでかけました。二人を連れて半年間オーストラリアへも留学しました。小学校一年の娘に学童保育から帰り道の託児所に五歳にならない長男を迎えに行かせて、フルタイムの派遣の仕事に出はじめました。その間に夫の単身赴任は終わりますが、家事分担のバランスが分からず数ヶ月ごとに過労で倒れます。家事のペースはなかなかつかめないまま、それでもフルタイム派遣の仕事で残業も進んで引き受け、下の子が小学校に上がると海外出張へも行くようになります。一時病気入院をしたことで派遣切りの可能性を現実味をもって認識、フリーランスへの種まきを始めます。そしてそのうちリーマン・ショックで派遣切りが現実となり、本格的に東京へと仕事へ出かけるようになり今に至ります。
こうしてみると私はけして子育てと仕事を上手く両立できているとは言えず、自分は好きに自分の選択をしてきただけで、むしろ、子どもが健康で無事に「運良く」育ってくれたと言ったほうが適切なように思います。幸いなことに、好き嫌いせず何でもよく食べる子ども達でアレルギーもなく、病気も人並みにしたという程度です。そんな状況で「子育ての苦労をした」と言うにはあまりにも傲慢なように思えます。
一方、子どもたちはやはり「苦労」ともしらず苦労していたのではないかと思います。通訳学校に通うために預けた一時保育に泣き叫ぶ二人を置き去りにしました。幼稚園のお迎えはいつも最後。留学先へ無理やり父親と引き離し連れて行き、帰国当初は「父さんと離れるならもう行かない」と言った息子の言葉が忘れられません。そして一番辛かったのは高校生になった娘の不登校でした。
これはつい数年前のことです。私の東京滞在中に「今日も休んでる」という連絡を受けては、一人自宅マンション10階にいるであろう娘を思うと生きた心地がしませんでした。夫も何度となく彼女を学校まで送り届け、出勤までに登校しなかった日は会社を早退して様子を見に帰りました。「信用して大丈夫、お母さんが仕事に行けば『なんだ!』と反抗心も出るけれど、休めば『自分のせいで休んだ』と思うのだから、普段通りに振る舞って」という学校の先生の心強い言葉にすがるような気持ちで、東京での仕事のペースは結局は落としませんでした。それでも気持ちが落ち着くということはもちろんありませんでした。
これまで教えた生徒さんや友達から「どうしてそこまで(犠牲を払うことが)できるんですか?」と何度も聞かれましたが、本当のところを上手く説明することはできませんでした。ただ言えたのは上述した「精神的な自立を得るために、経済的な自立をしたかった」ということだけです。ですがそのために家族にかけた負担や東京往復にかかる経済的そして肉体的負担は膨大であり(今もそれは続いているのですが…)それでも根底で私を支えているものについて説明することは難しいので止めておきます(笑)
しかし一つ言える事があります。それは「通訳という仕事を見つけたこと」が自分にとってとても大きかったということです。「経済的な自立」だけを目指すのであれば、当時であれば派遣社員をした後に正社員で働くことはまだまだそれ程難しくありませんでした。実際に幾つか英語を使う別の職種で熱烈に正社員職へのオファーも受けましたが、それらをすべて断れるだけの思い入れを「通訳」という仕事に見いだしました。他に専門が無ければ英語/語学を学んでできる仕事は「通訳」「翻訳」「教える」の3つで、そのすべてを経験しましたが「自分は通訳が好き、上手くなりたい」と素直に思えたのです。この「通訳」という仕事への思い入れが、その後の私を支え続け、今も支えてくれています。その上で「上手くなるにはどうすればいいか」を常に考え最優先させてきたように思います。
と考えてくると、全然両立へとたどり着かない…(苦笑)
何度も言いますが、私は幸運だったのです。ここまでなんだか全然勇気づけの要素なく、参考にならなそうな仕上がりですが、もう少しお付き合い下さい。
くだんのコラムの通訳者との大きな違いは、私はまだ通訳者としての実力も実績も十分でない時期から子育てが始まっていたということ、さらに地方で活動していたということです。その辺りも意識しながら、私がフリーランス通訳者として今に至る経緯も書いて見たいと思います。少し違った切り口ではありますが、数年前のハイキャリアさんインタビューのVol.52 「ワークはライフ、ライフはワーク(前編)(後編)」の中でも書いていますのでご興味がある方はどうぞ。
私はご存知の通り広島はマツダ株式会社のお膝元在住です。マツダといえば90年代後半にかけてアメリカのフォード社との提携関係を強め(トップに多くのフォード役員が名を連ねた時期がありました)当時のマツダ広島本社では常に嘱託社員待遇の通訳者の募集をしていたと記憶しています。私自身、英語を勉強すれば通訳でなくともマツダに職を求められるかもしれない…という計算はどこかに芽生えていたように思います。
ところが私が英語の勉強を始めたのが96年頃で、通訳どころか英語を一からやり直すという有様。同年に生まれた娘は今年20歳になりますが、娘を出産して一年半後には長男も生まれ、同時期に通訳学校に通い始めたものの勉強のペースはなかなかままなりませんでした。幸か不幸か夫は長女が幼稚園の年中の頃まではほぼ単身赴任状態でしたので、子どもが寝てから後の時間をすべて自分の時間として勉強に捻出していたという感じです。
通訳学校に通い始めたきっかけはある通訳者の講演会を聞いて触発されたことだったのですが、当時は必ずしも「通訳」を目指していた訳ではありませんでした。子育てで家庭に入ったことで社会と隔絶されてしまった自分に打ちひしがれていたところへ、「英語」「マツダ」「広島」というキーワードでなんとか社会復帰しよう…と先の見えない道を進んでいた感じです。
そもそも社会からの疎外感の根源にあったのは「経済的に自立していない自分」に気付いてしまった時の衝撃でした。そして、小さな子どもを育てている多くの親御さん達が経験する事だと思いますが、私にも不安にとりつかれ精神的に安定しない時期がありました。夫の単身赴任ですべての子育て責任を自分で果たさなければならない状況で、精神的に揺れてしまう自分…。悩んだ末「精神的な自立のためには、経済的な自立が必要」と意識的に考えるようになるのは、長女が小学校に上がる頃でした。
子ども達を平日の昼間に公立の一時保育に預け通訳学校にでかけました。二人を連れて半年間オーストラリアへも留学しました。小学校一年の娘に学童保育から帰り道の託児所に五歳にならない長男を迎えに行かせて、フルタイムの派遣の仕事に出はじめました。その間に夫の単身赴任は終わりますが、家事分担のバランスが分からず数ヶ月ごとに過労で倒れます。家事のペースはなかなかつかめないまま、それでもフルタイム派遣の仕事で残業も進んで引き受け、下の子が小学校に上がると海外出張へも行くようになります。一時病気入院をしたことで派遣切りの可能性を現実味をもって認識、フリーランスへの種まきを始めます。そしてそのうちリーマン・ショックで派遣切りが現実となり、本格的に東京へと仕事へ出かけるようになり今に至ります。
こうしてみると私はけして子育てと仕事を上手く両立できているとは言えず、自分は好きに自分の選択をしてきただけで、むしろ、子どもが健康で無事に「運良く」育ってくれたと言ったほうが適切なように思います。幸いなことに、好き嫌いせず何でもよく食べる子ども達でアレルギーもなく、病気も人並みにしたという程度です。そんな状況で「子育ての苦労をした」と言うにはあまりにも傲慢なように思えます。
一方、子どもたちはやはり「苦労」ともしらず苦労していたのではないかと思います。通訳学校に通うために預けた一時保育に泣き叫ぶ二人を置き去りにしました。幼稚園のお迎えはいつも最後。留学先へ無理やり父親と引き離し連れて行き、帰国当初は「父さんと離れるならもう行かない」と言った息子の言葉が忘れられません。そして一番辛かったのは高校生になった娘の不登校でした。
これはつい数年前のことです。私の東京滞在中に「今日も休んでる」という連絡を受けては、一人自宅マンション10階にいるであろう娘を思うと生きた心地がしませんでした。夫も何度となく彼女を学校まで送り届け、出勤までに登校しなかった日は会社を早退して様子を見に帰りました。「信用して大丈夫、お母さんが仕事に行けば『なんだ!』と反抗心も出るけれど、休めば『自分のせいで休んだ』と思うのだから、普段通りに振る舞って」という学校の先生の心強い言葉にすがるような気持ちで、東京での仕事のペースは結局は落としませんでした。それでも気持ちが落ち着くということはもちろんありませんでした。
これまで教えた生徒さんや友達から「どうしてそこまで(犠牲を払うことが)できるんですか?」と何度も聞かれましたが、本当のところを上手く説明することはできませんでした。ただ言えたのは上述した「精神的な自立を得るために、経済的な自立をしたかった」ということだけです。ですがそのために家族にかけた負担や東京往復にかかる経済的そして肉体的負担は膨大であり(今もそれは続いているのですが…)それでも根底で私を支えているものについて説明することは難しいので止めておきます(笑)
しかし一つ言える事があります。それは「通訳という仕事を見つけたこと」が自分にとってとても大きかったということです。「経済的な自立」だけを目指すのであれば、当時であれば派遣社員をした後に正社員で働くことはまだまだそれ程難しくありませんでした。実際に幾つか英語を使う別の職種で熱烈に正社員職へのオファーも受けましたが、それらをすべて断れるだけの思い入れを「通訳」という仕事に見いだしました。他に専門が無ければ英語/語学を学んでできる仕事は「通訳」「翻訳」「教える」の3つで、そのすべてを経験しましたが「自分は通訳が好き、上手くなりたい」と素直に思えたのです。この「通訳」という仕事への思い入れが、その後の私を支え続け、今も支えてくれています。その上で「上手くなるにはどうすればいいか」を常に考え最優先させてきたように思います。
と考えてくると、全然両立へとたどり着かない…(苦笑)
何度も言いますが、私は幸運だったのです。ここまでなんだか全然勇気づけの要素なく、参考にならなそうな仕上がりですが、もう少しお付き合い下さい。
2016年3月23日
Hiroshima's Revival 発売
広島在住のお友達 Pauline Baldwinさんの翻訳による「Hiroshima's Revival」(「広島の復興」英語版)がフタバ図書さんで発売になったそうです。私もまだ忙しくて手に取れていないのですが、Amazonの評価は上々で早く読みたいと思っています。(下記リンク先はAmazonで日本語版書籍です)
広島は世界で最初の被爆都市としてあまりにも有名ですが、悲惨な過去から復興して今ではとても美しい町に生まれ変わっています。そのことも多くの人に知って欲しい…と、随分と長いこと考え続けていました。
原爆の悲惨さを訴え続けることは二度と被爆者を生み出さないという決意を新たにするに必要なことですが、同時に人間の生きる力の力強さや尊さを、廃墟の中から立ち上がった広島の人々に感じてほしいと思うのです。世界中で戦争やテロ行為がほぼ日常的におこなわれている現在、打ちのめされてしまった人々に希望を与える事のできる存在もまた重要だと感じます。
この一冊が世界中の災害、戦争、テロ等に見舞われた多くの傷ついた人々の手に届き「人間を信じること」に希望を与える存在になればいいと願っています。
4月には本書籍の市長による記者発表がおこなわれるそうです。みなさんも書店、Amazonなどでぜひチェックして、可能であればお友達に紹介して下さると嬉しいです。
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| 広島の復興 / Hiroshima's Revival |
広島は世界で最初の被爆都市としてあまりにも有名ですが、悲惨な過去から復興して今ではとても美しい町に生まれ変わっています。そのことも多くの人に知って欲しい…と、随分と長いこと考え続けていました。
原爆の悲惨さを訴え続けることは二度と被爆者を生み出さないという決意を新たにするに必要なことですが、同時に人間の生きる力の力強さや尊さを、廃墟の中から立ち上がった広島の人々に感じてほしいと思うのです。世界中で戦争やテロ行為がほぼ日常的におこなわれている現在、打ちのめされてしまった人々に希望を与える事のできる存在もまた重要だと感じます。
この一冊が世界中の災害、戦争、テロ等に見舞われた多くの傷ついた人々の手に届き「人間を信じること」に希望を与える存在になればいいと願っています。
4月には本書籍の市長による記者発表がおこなわれるそうです。みなさんも書店、Amazonなどでぜひチェックして、可能であればお友達に紹介して下さると嬉しいです。
2016年3月12日
翻訳者・通訳者の矜持 ー AlphaGo vs. Lee Sedol の対戦に思う
機械翻訳は超低品質(論理的文章の体をなさない)とされその訳文をネット上でたびたび糾弾されています。しかし、機械翻訳品質が向上して上手くはないが使える訳文を出すようになれば、ネットに氾濫する悪文に慣れきった人々はそれが機械翻訳とも気付かないかもしれません。
仮にその状態が長く続き翻訳者が「人間翻訳は大丈夫」の態度を続ければ、刻々と起こりつつある機械翻訳の劇的な品質の向上に気付かないまま、ある日突然に翻訳者がまとめてお払い箱になるという事態が起きてもおかしくありません。…とは極端でしょうか。私はどうしてもそう思えないのです。
翻訳者がいつまでも「今の機械翻訳レベル」を批判し続けることにあまり意味がない、そのことに気づかないといけないと思うのです。でなければ当然、気付いたら「機械翻訳で十分足りるのであなたは要りません」という時代が来る。私が問題だと思うのは「いつ来るのか」の判断を「人間翻訳は大丈夫」とうそぶいて翻訳者自身が放棄し、現実を見ようとしていない(ように見える)ことです。
昨今の機械翻訳技術の進歩は、いわゆるAI(人工知能)の進歩に続くものになるのは間違いありません。むしろAIがたどるであろう、解釈・論理構築・思考・試行・実行というプロセスを考えれば翻訳はその影響を直に受ける分野と言えるのではないでしょうか。私も一昨年末から仕事がらみでAIについて勉強することが数回あり、大変注目をしていました。数冊AI関連の本を読んだり勉強会に出席するなどしましたが、AIのロジックなど難しくて理解するのを放棄したい気になる感じです。しかし、カナダ・トロント大学から始まったDeep Learningの出現によりコグニティブコンピューティングの基礎が固まり始め第三次AIブームが到来した言われる現在、第一次、第二次とは違った大きな波が来ていることくらいはうっすら理解できている、そんなレベルにはありました。
ですが「人間翻訳」が負ける日は必ずやってくると考えながらも、機械翻訳の急速な(向こう10年程度の)能力向上には懐疑的で、私が生きている間は少なくとも影響ないかなぁ…となんとなく呑気に考えていました。ところが、昨年GoogleがTensorFlowのオープンソース化を発表し、それに関係する記事を読み始めた頃から十分読める機械翻訳の可能性について危機感をひしひしと感じるようになりました。そして先般のAlphaGoと韓国人トップ棋士Lee Sedolの対戦でLee氏が敗れ「一度も優勢に立てたと思わなかった…」と発言したことには衝撃を受けました。向こう10年は…などという考えはもう通用しないような気がし始めています。
翻訳はこれまでの翻訳物がデータとして残っているため、AIに学習させるためのリソースは大量に存在しています。もちろん、正しい(望ましい)リソースを選別して分野に最適なLearningをさせることが必要になりますが、産業界にニーズがありビジネスの可能性が大きくあるのであれば、実用はそれ程難しくはないし業界(翻訳)への適用はかなり早い時期に実現すると考えられます。
日本の大きな翻訳者団体でも機械翻訳の訳文を評価する試みが行われているようです。私が読んだレポートによれば、機械翻訳の訳文は機械翻訳を提供するサービス側では好意的に見られ、翻訳者にはかなり批判的に評価されていたようです。ただ、評価の対象となっている機械翻訳のプログラムレベルが圧倒的に最先端技術とはかけ離れたところにあるものであり、業界をリードする翻訳者団体が将来的な機械翻訳の可能性を全く議論せず、専門的な知見を殆んど取り込んでいないように見えたことは大変残念に感じました。
機械翻訳が「使えるレベル」になる日は必ず来ると思います。それは「いつ」なのか?恐れたところで翻訳者(通訳者も)は「人間にできる」事を今までどおり地道に努力して続けていくしか有りません。ですが、いつまでも現実から目を背けて「人間翻訳優位」を信じ続け機械翻訳をこき下ろしてばかりいていいのでしょうか。それは個人の翻訳者も翻訳会社も同様です。
むしろ、業界は積極的に機械翻訳の発展に貢献することで、機械にできないことは何なのかを翻訳者や通訳者に提示するという姿勢を持って欲しいと思います。そして、翻訳者も通訳者も「機械翻訳」の動きを揶揄するような口調をやめ、生き残るために着目すべきは何か(あるいは、生き残れるのか…?)を、より積極的に考えるべき時期に来ている。そんな風に感じます。そして、その姿勢こそが人間翻訳者・通訳者の矜持ではないかと考えます。
仮にその状態が長く続き翻訳者が「人間翻訳は大丈夫」の態度を続ければ、刻々と起こりつつある機械翻訳の劇的な品質の向上に気付かないまま、ある日突然に翻訳者がまとめてお払い箱になるという事態が起きてもおかしくありません。…とは極端でしょうか。私はどうしてもそう思えないのです。
翻訳者がいつまでも「今の機械翻訳レベル」を批判し続けることにあまり意味がない、そのことに気づかないといけないと思うのです。でなければ当然、気付いたら「機械翻訳で十分足りるのであなたは要りません」という時代が来る。私が問題だと思うのは「いつ来るのか」の判断を「人間翻訳は大丈夫」とうそぶいて翻訳者自身が放棄し、現実を見ようとしていない(ように見える)ことです。
昨今の機械翻訳技術の進歩は、いわゆるAI(人工知能)の進歩に続くものになるのは間違いありません。むしろAIがたどるであろう、解釈・論理構築・思考・試行・実行というプロセスを考えれば翻訳はその影響を直に受ける分野と言えるのではないでしょうか。私も一昨年末から仕事がらみでAIについて勉強することが数回あり、大変注目をしていました。数冊AI関連の本を読んだり勉強会に出席するなどしましたが、AIのロジックなど難しくて理解するのを放棄したい気になる感じです。しかし、カナダ・トロント大学から始まったDeep Learningの出現によりコグニティブコンピューティングの基礎が固まり始め第三次AIブームが到来した言われる現在、第一次、第二次とは違った大きな波が来ていることくらいはうっすら理解できている、そんなレベルにはありました。
ですが「人間翻訳」が負ける日は必ずやってくると考えながらも、機械翻訳の急速な(向こう10年程度の)能力向上には懐疑的で、私が生きている間は少なくとも影響ないかなぁ…となんとなく呑気に考えていました。ところが、昨年GoogleがTensorFlowのオープンソース化を発表し、それに関係する記事を読み始めた頃から十分読める機械翻訳の可能性について危機感をひしひしと感じるようになりました。そして先般のAlphaGoと韓国人トップ棋士Lee Sedolの対戦でLee氏が敗れ「一度も優勢に立てたと思わなかった…」と発言したことには衝撃を受けました。向こう10年は…などという考えはもう通用しないような気がし始めています。
翻訳はこれまでの翻訳物がデータとして残っているため、AIに学習させるためのリソースは大量に存在しています。もちろん、正しい(望ましい)リソースを選別して分野に最適なLearningをさせることが必要になりますが、産業界にニーズがありビジネスの可能性が大きくあるのであれば、実用はそれ程難しくはないし業界(翻訳)への適用はかなり早い時期に実現すると考えられます。
日本の大きな翻訳者団体でも機械翻訳の訳文を評価する試みが行われているようです。私が読んだレポートによれば、機械翻訳の訳文は機械翻訳を提供するサービス側では好意的に見られ、翻訳者にはかなり批判的に評価されていたようです。ただ、評価の対象となっている機械翻訳のプログラムレベルが圧倒的に最先端技術とはかけ離れたところにあるものであり、業界をリードする翻訳者団体が将来的な機械翻訳の可能性を全く議論せず、専門的な知見を殆んど取り込んでいないように見えたことは大変残念に感じました。
機械翻訳が「使えるレベル」になる日は必ず来ると思います。それは「いつ」なのか?恐れたところで翻訳者(通訳者も)は「人間にできる」事を今までどおり地道に努力して続けていくしか有りません。ですが、いつまでも現実から目を背けて「人間翻訳優位」を信じ続け機械翻訳をこき下ろしてばかりいていいのでしょうか。それは個人の翻訳者も翻訳会社も同様です。
むしろ、業界は積極的に機械翻訳の発展に貢献することで、機械にできないことは何なのかを翻訳者や通訳者に提示するという姿勢を持って欲しいと思います。そして、翻訳者も通訳者も「機械翻訳」の動きを揶揄するような口調をやめ、生き残るために着目すべきは何か(あるいは、生き残れるのか…?)を、より積極的に考えるべき時期に来ている。そんな風に感じます。そして、その姿勢こそが人間翻訳者・通訳者の矜持ではないかと考えます。
2016年1月27日
フォード日本撤退のニュース
今週月曜日に、自動車メーカーのフォードが年内の日本市場からの完全撤退をアナウンスしました。詳しくはこちら(フォード公式サイト:重要なお知らせ)
そして今週のお仕事が広島案件ウィークであることは私にとってとても感慨深く、もちろんフォード撤退のニュースのタイミングは単なる偶然でしかないのですが、いろいろな思いが巡っています。
思えば英語を使う仕事ということでWEBコーディネーターの肩書きで、専業主婦から派遣社員として社会復帰した会社が当時のフォードアジアパシフィックでした。
二人の子供は未だ幼稚園の年少と年中、夫は単身赴任中。一人で子育てすることや自分自身の精神的経済的自立をとにかく悩み抜き、家にこもっていることが限界に来ていた時期に職探しを始め、運良く9:00-15:00のパートタイムのこの仕事に着くことができました。
一年弱務めた頃に子供達を連れてオーストラリアに半年留学するため退職。ですが、帰国後も主に自動車部品サプライヤー数社を経てマツダで働くようになる中で、フォードという存在があったからこそ広島で通訳修行を積むことができた、と言っても過言ではありません。
今日はたまたまマツダベンダーのお客様について古巣マツダでのお仕事でしたが、マツダ在籍時代も沢山のフォードエンジニアの皆さんにお世話になった…と、一人一人の顔が思い出されました。
退職直前まで専属でついていたイギリス人の彼、どうしてるのかな…。
一時代が終わった感がとても強いけれど、時代にただ流されるのではなくて時代とともに前に進まなきゃな、と気持ちを新たにしています。
そして今週のお仕事が広島案件ウィークであることは私にとってとても感慨深く、もちろんフォード撤退のニュースのタイミングは単なる偶然でしかないのですが、いろいろな思いが巡っています。
思えば英語を使う仕事ということでWEBコーディネーターの肩書きで、専業主婦から派遣社員として社会復帰した会社が当時のフォードアジアパシフィックでした。
二人の子供は未だ幼稚園の年少と年中、夫は単身赴任中。一人で子育てすることや自分自身の精神的経済的自立をとにかく悩み抜き、家にこもっていることが限界に来ていた時期に職探しを始め、運良く9:00-15:00のパートタイムのこの仕事に着くことができました。
一年弱務めた頃に子供達を連れてオーストラリアに半年留学するため退職。ですが、帰国後も主に自動車部品サプライヤー数社を経てマツダで働くようになる中で、フォードという存在があったからこそ広島で通訳修行を積むことができた、と言っても過言ではありません。
今日はたまたまマツダベンダーのお客様について古巣マツダでのお仕事でしたが、マツダ在籍時代も沢山のフォードエンジニアの皆さんにお世話になった…と、一人一人の顔が思い出されました。
退職直前まで専属でついていたイギリス人の彼、どうしてるのかな…。
一時代が終わった感がとても強いけれど、時代にただ流されるのではなくて時代とともに前に進まなきゃな、と気持ちを新たにしています。
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昨年秋からオンサイトの仕事は戻ってきていましたが、今年の秋はコロナ以前のペースでオンサイトの問い合わせが入り、久々に数多くの同僚と再会を果たすことができた一年でした。実際に隣に座って仕事をすることで気がつくのが、デスク上に置かれる通訳者の持ち物。みなさん色々進化していて驚きま...




