2011年1月26日

英BBC「QI」 - 翻訳/通訳的解釈

先日物議をかもしたイギリスBBCのお笑いクイズ番組「QI」。二重被爆者を扱ったことについて日本大使館から抗議を受け、プロデューサが謝罪をしたものの、日本国内の反発感情の大きいことを受けて、BBCが大使館に書簡を送って謝罪する事態にまで発展した件です。

私が参加しているある翻訳フォーラムでも話題になりました。そこで
私は、様々なとらえ方があり、その解釈の仕方にも通訳的と翻訳的な違いあるのでは?と感じたので紹介してみます。

私は見ていないのですがNHKが字幕付きでニュースを流していたそうで、これが翻訳者たちの目から見ると、かなり偏った翻訳だったようです。この翻訳につられて国内での反感が一気に高まり、BBC謝罪へつながったと、いう見方をしている方が居られました。

(翻訳に端を発したかどうか定かではありませんが、混乱の中報道にも訂正が加わっている様子がこのサイトで分かります。)
 

「『翻訳』フォーラム」ですから「語られる言葉が正しく翻訳されているかどうかをまずは見極めなければならない。」という点では、ほぼすべての投稿者が同じ意見だったと思います。

ただし、発言のことばを正しく解釈した上で「これは決して被爆者をネタに笑っているのではない。」という意見と「番組の性格(コメディ・クイズ番組)や番組の流れを考えれば被爆者に対する配慮が足りなかった。」という意見に大方分かれていました。

私はこの二つを見たときに、前者が翻訳者的で後者が通訳者的だと感じたのです。
翻訳者が正確に「文字/ことば」を理解しようとするのは当たり前のことです。もちろん、通訳者に関してもそれは同じです。


しかし、翻訳の際に素材として多くを頼るのは、「文字/ことば」として落とされた原文です。別言語に素材を翻訳した後は、その別言語をどうとらえるか?の最終的な解釈は読み手にゆだねられます。

一方通訳者は、語られた「ことば」のトーン、言葉を発した人の顔の表情、間の取り方、会話の流れからトピックの周辺に作られる雰囲気など「文字/ことば」を超えた様々な情報を瞬時に判断します。

つまり、
通訳者は通訳プロセスの一環として「場の空気を読む」ことが多々あります。ビジネス通訳であれば(内容を曲げるわけではありませんが)その場の空気を雇い主に有利に持っていくのも通訳の役割の一つです。

通訳が場の空気を読んだ結果「ことば」を訳出するときの声のトーン、表情などを微妙に変化させ、そうすることで次に続くにふさわしい場の空気をさらに作り上げているところがあります。

そうした「場の読み」を加えるからこそ、
「ことばを正確に理解した上でもやはり配慮が足りなかった」という解釈が生まれたのではないかと考えました。

もちろん、 場の空気の読み方は個人に大きく依存しますから、この件についても複数の通訳がいれば複数の通訳の仕方があるはずです。 その意味で、後者が通訳的とは言いましたが「文字/ことば」を超えた情報を判断しても「これは嘲笑や愚弄ではない。」と判断する通訳者も居て当然です。

しかし、あえてそれとは「逆の場の読み方」が存在することが、場の空気を加味した通訳的な読みであると考えたのです。「場の読み」が加わっているぶん、通訳者の読みは一歩踏み込んだものと言えるかもしれません。(善し悪しの問題ではなく。)


今回の件については「場を読む」という行為なしに「文章/ことば」から得られる情報だけを元に判断する時、真正面からBBCを批難できるだけのインパクトはない、と私も感じています。だから余計に「逆の読み方がある」という点で、「通訳らしい」と私は感じたのかもしれません。

フォーラム内で紹介されたブログをこちらでも紹介します。推察するに、こちらの翻訳はNHKが報道した字幕とはきっとかなり違のでしょう。

ブログの作者の見解は、日本の各報道機関の「笑いのネタ」「嘲笑」「愚弄」といったことばを使った報道は、適切に番組を表現したものかどうか疑問である、というものです。最終的にBBCが謝罪する事態の是非については、ブログ読者の判断に任せています。
参考になると思います。


蛇足かもしれませんが、それでは一体、BBCの対応の是非をどう考えたらいいのか?
私は今回のBBCの番組には混乱を招いた「場の読み方」以上に大きな要素が存在していると思っています。
 

それは、BBCの番組が、単なるスクリプトとして読み手に提供されたのではなく、被爆者やユーモアについての両国国民の意識や感情、文化的背景までが複雑にかかわる「極めて難しい場」として存在していた、という点です。

場が存在するからには、その場がどう解釈されるのかを、十分に検証する必要が報道する側にあったのでは無いかと考えます。つまり、通訳的視点が必要だったというのが、私の見解です。 しかし、通訳的視点を以てしても、様々なとらえ方が有るわけで・・・。



そんなことを考えていたら、池上彰氏の著書「伝える力」を思い出しました。この中に今回のBBCの顛末をよくあらわした内容があります。それは「危機管理」です。

モノの感じ方は人それぞれですが、一人一人の顔色をうかがっていたのでは何も発言できません。それでも、自分に伝えたいメッセージがあるのなら「相手に精神的バリアを作り出させない配慮をする」事は重要な戦略であるということです。


仮に私がこの番組を通訳するように言われていたとして、しかし「危機管理」を考えた場合、やはり断っていたと思います。それは難しい判断では無いような気がします。

そう考えると、BBCが「危機管理が甘く、配慮に欠けていた。」と批判されることは免れないのでは?と個人的に思います。

実は池上氏はこうも指摘しています。
「日本の社会では、他の国ではそれほど問題にならないような発言でも情緒的な反発を受けることがあるので気をつけること。」


さすがのBBCもそこまでは思いが至らなかった…のでしょう。