2011年4月12日

「建築家安藤忠雄」 安藤忠雄著

一言でいうと、惚れました。

シンガポール出張時に滞在したホテルでは、毎日朝になると日本経済新聞が届けられていました。普段、自宅で新聞を取らずもっぱら情報収集はインターネットや雑誌、書籍が中心なので、海外に出張に出たときには日本の新聞であれ、海外の新聞であれ、時間の許す限り目を通すようにしています。

ただ、今回のシンガポール出張は震災直後だったこともあり、紙面は震災のニュースで埋め尽くされていました。在外邦人の方々気持ちを一瞬感じたような気分になり、とても辛かったのを覚えています。

しかし、そんな中にコラム連載されていたのが安藤忠雄氏の記事でした。建築を学問として学校で学んだことは一切無く、いわゆる「たたきあげ」と呼ばれる建築家だと言うことだけは知っていました。それ以外、私は建築については全くの素人ですし、建築に興味があるというほどでもありませんでした。

しかし、毎日目にする彼の文章はとても理路整然としていて、それでいて彼の情熱が文面から迫ってくる感じです。ご自身の経歴や、構想している建築のコンセプト、そして東京大学で教鞭を執られた経験や、そこで出会った学生についての感想などの記述は、非常に淡々としているのに、どんどん引き込まれてしまいました。

結局毎日安藤氏のコラムから真っ先に読むようになり、帰国したら是非この人の本が読みたい…と思うようになったのです。

実は彼が「たたきあげ」だと偶然知った頃に、この本はもう購入していたのです。近々必ず読まなくてはいけない本2冊を既に決めていたので、帰国してその2冊を読み終わったら…と思っていたのですが、思いの外その2冊がオモシロくなく…この本に手が伸びてしまいました。そして一気に読了。

彼が建築に多大な情熱を傾けているのは、これを読むとよく分かります。ですが、この本でとらえられているのは「建築家安藤忠雄」という書籍名にもかかわらず、人間としての彼の生き方に思えます。何をするにも手を抜かない。おもしろそうなことはとことん追究。その中で信念を持ってことにあたる。そして自分の構想を実現するため、後輩へ技術を伝承するため、どうやってメッセージを伝えればよいのか?について、いつも真剣に思いを巡らせている方だと感じました。

彼が建築を紡ぎ出す中で見せるプロフェッショナリズム。引き込まれずにいられませんでした。私自身もフリーランスとして活動していることから、プロフェッショナルな仕事とは何か?を今自問自答中だけに、大変得るものが大きかったと感じています。

もちろん、建築家としての側面も存分に語られています。彼が手がけた代表的な建築に発生した建築そのもののストーリーと、その作品を仕上げるために関わった人間のストーリーとが詳しく語られています。

建築のストーリーを語る部分を読んで、村上隆氏の「芸術闘争論」を思い出したのは偶然でしょうか?安藤氏の作品は素材としては冷たい印象を与えるコンクリート打ちっ放しの建築が大半で、この素材はイメージ的に人間の温かみとは相容れません。それを自然環境、都市環境、光と水との関係の中で、どういったストーリーに仕上げていったのかが愛おしそうに語られています。 この点は、村上氏の言う、芸術を鑑賞するには鑑賞する技術がいる、という考え方から「芸術闘争論」でそれを説明しようとした姿勢によく似ていると感じました。

彼の建築に対しては「有名人が建てたからいいのだろうな…」ぐらいの印象しか抱いていなかったのに、読み進めて後半部分に入ってくると、建築作品名が出てきた瞬間には、我知らずその緻密さ、優しさ、想定される人間の生活が語られるのを意識し楽しみにするようになっていました。

建築の仕事を心から愛しながら、建築という枠に全くとらわれていない人。人間的な大きさを感じさせてくれる、そういう人だと思います。

東北関東大震災の復興支援の一環として、安藤忠雄氏が名乗りを上げたというニュースを最近聞きました。自分の足で阪神大震災後の被災状況と復興を確かめ、自ら被災者支援に当たった安藤氏です。彼だからこそ出来る復興建築に期待したいと思います。

良著でした。

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