2016年5月10日

キャリアと子育てー 後編「両立の意味」

でもそんな幸運な私でさえ「自分の感情と折り合いをつける、子どもを信じる、自分を信じる」ということがなかなかできず、一時期はかなりのストレスを抱えていました。ところが、事の只中にいる時にはそれが難しさでありストレスのもとだとは、ほとんど気がついていなかったのです。様々な局面をくぐり抜けて振り返った時「難しかったのは選択そのものではなく、どう目の前のことを受け入れるか」だった、そう理解できるようになりました。

家事と勉強、仕事を両立できずに入退院を繰り返した頃、主婦業をすべて一人でできない自分を受け入れられませんでした。専業主婦だった自分の母から潜在的に「家事は女のもの」という固定観念が作り上げられていたようです。そして、何の感情も無く嫌がる子どもを保育園に預けたり、オーストラリアへ連れて行った訳ではありません。園で別れ際に泣き叫ぶ子どもに罪悪感を募らせ、遠いオーストラリアの地で体調を崩す息子を見ては、やはり自分を責めました。ましてや平気で不登校の娘を置いて東京で仕事をしていた訳ではありません。仕事をほんの一時期控えたこともありましたが、私は娘に対する他でもない「自分の気持ち」に後ろ髪を鷲掴みにされながら東京へでかけ続けました。

今、いろんな通訳キャリアのフェーズで子育て真っ最中の方はたくさんいると思いますが、皆さんの取れる行動の選択肢はたった一つで、体を酷使し尽くしてもできることは限られています。そんななか私自身、日々「思うようにできない」という自分の感情と格闘しながらも「後悔しながら進まない」ということをやっと意識できるようになったのはつい数年前、娘が不登校になった頃だったでしょうか。

社会は暗黙のうちに「産め」というプレッシャーをかけ、産めば「産んだ自分の責任」と公然と突き放し「冷たい大衆の視線」があふれています。そういう社会の中で、目の前の子どもの求めに応じる事ができないジレンマでただでさえ引き裂かれるように心揺れる親という立場にいることは、職業を持つ持たないにかかわらず易しいことではないと感じます。「正しい子育て」をするよういつも社会からも自分自身からも迫られている、そんな気さえします。

「正しい子育て」という意味でいえば、いつも私が「正しい選択」をしていたなら娘は不登校にはならなかったのでしょうか。わかりません。結局、気持ちは娘に寄り添うことを最優先にして、でも仕事量を減らさないという決断をしたわけですが、「仕事を辞めるべきだったのか…」と思い悩む日々は続きました。ですが、ある時期から、自分と子どもを信じて「力ずくで納得して前に進む」そういった「潔さ」を身につけて行くしかない…と思うようになりました。

見方によっては「勝手」と取られるかもしれませんし、実際に私自身かなり勝手な生き方をしてきたと思います。しかし「勝手でごめんなさい」と言えば、苦労を引き受けた子ども達は何かに溜飲を下げるのでしょうか…。むしろ、月並みですが「ありがとう」と心から言えるよう自らを潔くし、周囲の理解に自分なりに報いるだけの「『自分が』満足できる成果」を出したいと思える意志を強く持ちたい、と思うようになりました。

自業自得、因果応報、人間万事塞翁が馬…事が発生した後ではなんとでも理由付けは可能ですが、そうした理由付けの多くはこと子育てに関してはあまり意味がないように感じます。先日、翻訳者の知り合いがTwitterに書いていたのですが、そのくらい「子育てには親の努力や根性では乗り超えられない壁が多すぎる」と思います。ですから、壁の原因を探して対処療法ばかりに走ったり責めを延々と自分で受け止めて苦慮したりするより、変えられない過去をどう受け入れるのかに注意を向けられたら、と思います。あるいは、何の根拠もなく「とりあえずこれでいい」と信じることができればそれでもいいように思います。

また、何かを「する選択」があれば「しない選択」も有ります。よく「後悔するくらいならなんでもやってみよう!」と言われますし私もそう思います。そういう思想の持ち主なら子育ての環境の中で何かを「しない選択」をすることは、「する選択」をするのと同様に勇気が必要なはずなのです。ですから、矛盾して聞こえますが、子育をしながら何かを「しない選択」をすることを後悔する意味も無いように思うのです。

私のように東京へ出る選択をせず広島でがんばるママさん通訳、フリーランス通訳ではなく敢えてインハウス通訳者としてがんばるママさん通訳、海外在住で東京へ通いながら仕事するママさん通訳を知っています。もっというと、地方在住の家族と離れて東京で単身赴任しながらがんばるパパさん通訳もいます。それぞれ、子どもや家族との関わり方は異なり、どんなリソースのかけ方をするのかはけして同じである必要はないはずです。つまり、親として何が正しいかを決める(信じる)のはやはり自分でしかないと思います。

もし、あなたがお子さんを持つ働くお父さんあるいはお母さんなら、沢山考えて悩んで自分の行きたいと信じる道を選んで下さい。その後に続く「自分の感情と折り合いをつける」ということも「自分の納得できるような成果を出す」ということも、とにかく難しいことばかりです。でも、同時に「自分の選択を許してくれる環境」に素直に感謝することは、勇気をもって決断した自分を信じ「今を受け入れながら」歩いて行ければ自然にできるようになる気がします。

かくいう私もまだまだ「これでいいのだ!…よね?」と自問自答しながら歩みを進めているので、説得力は今ひとつ…かもしれません。ただ、子どもはいつまでも「こども」ではなく必ず成長します。子どもの成長とともに自分の気持ちとゆっくりでも「折り合い」をつけていけばいいのではないでしょうか。

娘の例で言えば、不登校はけして「解決」したわけではなく「その時期を過ぎた」だけだと思っています。当時の私の行動を判断すれば、私は「正しくなかった」かもしれない…という痛みは有ります。ただ、娘の方も当時なぜ不登校になってしまったのか彼女自身「わからない」ところもあるようです。そして「わからない」をそのまま残して前に進んでもいいと今は思っています。

正直なところ子ども達が「かあさん」である私をどう受け止めてくれているのかまったくわからないのですが、私の方は成長した子ども達を彼らが小さかった当時とはまた違う形でいっそう愛おしく思えるようになりました。そんな今の自分は幸せだと思います。そして私のキャリアはまだまだ長い道のりではありますが、目指した当初と変わらず「仕事したい。きっとまだ上手くなれるはず」そう思える会議通訳という仕事に出会えたことを、やはり幸せだと思います。

「子育てと仕事の両立」の形はけして一つでは無いはずです。そもそも「両立」という言葉の正しさはどこにあるのだろうか?と考えずにはいられません。

なんだかちょっと両立論とはちがってしまったかも…(苦笑)