「鳥飼先生は学生時代から同時通訳として活躍した英語界のアイドル的存在だ」とどこかで聞いたことが有ります。そのくらい有名な方なのに、私が実際に彼女を知ったのはNHKの教育テレビ「クロスロード・カフェ」に出られていた頃からで、彼女の経歴他は全く知らなかったのですが、彼女の持つ気取らない雰囲気がとても好きで、それ以降なんとなくずっと気になる存在でした。
近年出された著書「国際共通語としての英語」 (講談社現代新書)(2011/4/15) 「英語公用語」は何が問題か (角川oneテーマ21) (2010/11/10) については、このブログでも書評を書いていますが、読んでいて「そうそう!」と膝を打つことが多く、それ以降すっかり彼女のファンになりました。
というものの、それ以外の有名な著書「歴史をかえた誤訳」 (新潮文庫) (2004/3/28) 「通訳者と戦後日米外交」 (2007/8/11) については読んでいない…という呆れたファンなのですが(恥)
ファンで有りながら、彼女がどういう経緯で同時通訳になり、さらには教員・研究者の道へと進んでいったのかは知りませんでしたし、ましてや女性として三人の子育てをしながら40才を過ぎて英語教育について海外の大学院で学位を取られたということなど想像すら及ばず、英語を母国語と同じレベルで習得された帰国子女でらっしゃるとさえ思っていました。
この著書では、ご自身の言葉に対する思い入れ、英語に対する興味と情熱がどう芽生えて彼女のその後のキャリアへと導いていったかを、ご自身が研究した日本同時通訳界の草分け達と対比しながら、また時代背景に影響されたご自分の姿を客観的にとらえながら紐解いておられます。
読み進めながら、人よりもずっと遅くに勉強をはじめた私自身の中にも、言葉、英語への興味が実は小学校前からくすぶっており、中高時代にあまのじゃくな性格からスッカリ英語嫌いになってしまった自分がいたものの、それが単なる「フリ」でしかなく、実は「言葉」「英語」で「対話」することにはいつも興味津々だった自分に気付かされました。
今年三月に亡くなられたという同時通訳草分けの一人、村松増美先生が出会った中学時代の英語教師で今石益之先生のエピソードがこの本のはじめの部分で紹介されます。今石先生の名前を見たときにはドキドキしました。院長先生があの村松先生をインスパイアした方だったとは…!
私が通った母校で、丁度私が在籍した六年間にずっと院長先生をされていた方です。もちろん言葉を交わしたことはありませんし、いつも礼拝の時には小首をかしげて静かに椅子に座っておられた姿が思い出されます。あれだけ中学高校に馴染めなかった私が院長先生を覚えているのは、あの温厚なお顔のせいなのか、単なる偶然なのか…。担任して下さったのに名前もロクに思い出せない先生もいるのに(失礼)!
鳥飼先生とは丁度親子の年の差ですから時代背景は随分違います。もちろん育った環境も違うのですが、彼女を通して自分自身がどういう「時代」に生きてきたのか、自分の言葉、英語に対する興味を支えたものは何だったのかを振り返るとても貴重な時間を頂きました。
そして、ますます鳥飼先生のファンになったことは言うまでもありません。
現在、引き続き「通訳者と戦後日米外交」を読んでいます(笑)
近年出された著書「国際共通語としての英語」 (講談社現代新書)(2011/4/15) 「英語公用語」は何が問題か (角川oneテーマ21) (2010/11/10) については、このブログでも書評を書いていますが、読んでいて「そうそう!」と膝を打つことが多く、それ以降すっかり彼女のファンになりました。
というものの、それ以外の有名な著書「歴史をかえた誤訳」 (新潮文庫) (2004/3/28) 「通訳者と戦後日米外交」 (2007/8/11) については読んでいない…という呆れたファンなのですが(恥)
ファンで有りながら、彼女がどういう経緯で同時通訳になり、さらには教員・研究者の道へと進んでいったのかは知りませんでしたし、ましてや女性として三人の子育てをしながら40才を過ぎて英語教育について海外の大学院で学位を取られたということなど想像すら及ばず、英語を母国語と同じレベルで習得された帰国子女でらっしゃるとさえ思っていました。
この著書では、ご自身の言葉に対する思い入れ、英語に対する興味と情熱がどう芽生えて彼女のその後のキャリアへと導いていったかを、ご自身が研究した日本同時通訳界の草分け達と対比しながら、また時代背景に影響されたご自分の姿を客観的にとらえながら紐解いておられます。
読み進めながら、人よりもずっと遅くに勉強をはじめた私自身の中にも、言葉、英語への興味が実は小学校前からくすぶっており、中高時代にあまのじゃくな性格からスッカリ英語嫌いになってしまった自分がいたものの、それが単なる「フリ」でしかなく、実は「言葉」「英語」で「対話」することにはいつも興味津々だった自分に気付かされました。
今年三月に亡くなられたという同時通訳草分けの一人、村松増美先生が出会った中学時代の英語教師で今石益之先生のエピソードがこの本のはじめの部分で紹介されます。今石先生の名前を見たときにはドキドキしました。院長先生があの村松先生をインスパイアした方だったとは…!
私が通った母校で、丁度私が在籍した六年間にずっと院長先生をされていた方です。もちろん言葉を交わしたことはありませんし、いつも礼拝の時には小首をかしげて静かに椅子に座っておられた姿が思い出されます。あれだけ中学高校に馴染めなかった私が院長先生を覚えているのは、あの温厚なお顔のせいなのか、単なる偶然なのか…。担任して下さったのに名前もロクに思い出せない先生もいるのに(失礼)!
鳥飼先生とは丁度親子の年の差ですから時代背景は随分違います。もちろん育った環境も違うのですが、彼女を通して自分自身がどういう「時代」に生きてきたのか、自分の言葉、英語に対する興味を支えたものは何だったのかを振り返るとても貴重な時間を頂きました。
そして、ますます鳥飼先生のファンになったことは言うまでもありません。
現在、引き続き「通訳者と戦後日米外交」を読んでいます(笑)