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2011年6月1日

「国際共通語としての英語」 鳥飼玖美子 著

注意:
書評というよりはかなりネタバレ的な内容です。ごめんなさい。

以前「英語と日本語のあいだ」菅原克哉著について書評を書いています。しかしそれは、最近のコミュニケーション力重視の学校英語教育に危機感を覚え、訳読(文法学習)の重要性を肯定しつつも、本当にそれ一本槍でよいのか?偏重しない、英語の筋肉を鍛えるやり方があるのでは? という疑問満載なものでした。

この本は、その疑問の本質を明らかにし「新しい英語学習・教育」のあり方の概念を提示してくれました。そしてさらに、なぜ共通語としての英語なのか?についても、圧倒的多数の英語ノンネイティブとしての立場から定義付けをし、対応の仕方を大胆に示しています。

以前の私は「英語を国際共通語」と表現する事にとても違和感がありました。事実上、最も世界で共通語としての扱いを受けているのは承知しています。でも、その事実のみで「共通語」という位置づけで捉えて良いものか?と疑問に思っていました。

と言っても、実は受け売り…というか、とても共感したのがその思考の始まりでした。ロシア語通訳翻訳者でありながら、数々の素晴らしいエッセイを残してくれた故米原万里さんはハッキリと「英語を世界の共通語」とする事に警鐘を鳴らしておられました。

外国語を学ぶ事は、文化を学ぶ事であり、人間の思考に新たな視点をもたらしてくれる。そうした新たな視点から日本や日本語を見つめ直し、さらには日本人である自分について違った角度から考えることできるようになる…というような事を書いておられたと記憶しています。

私自身は、自分が勉強したのはたまたま英語で、英語が好きだったから英語をやっている位にしか思っていませんでした。なので、娘にも別に「英語じゃなくても何か外国語を勉強した方がいいよ。」とよく言って聞かせていたのですが、最近になって「やっぱり英語がじゃなきゃダメだ…」と180度方向転換せざるを得なくなりました。

理由は、グローバル言語として英語が台頭する事によって、明らかに英語で得られる情報量が多くなったこと、生活のあらゆる場面で、実は英語が読めるが故に得をしていると感じる事が、最近急に増えてきたためです。特に、インターネットを利用する場合には英語が読める事で、できる事・できない事の差が大きく出ます。

例えば、Googleから得られる検索結果、Googleが提供するヘルプ機能、iPhone・iPadアプリの使用説明、メジャーなシェアウェアの解説・ヘルプ文書、はたまた海外航空券予約、海外格安旅行会社パック旅行サイト、あるいはSkypeからそうした会社へのヘルプデスク利用等々…。

でも、どうして英語一辺倒じゃなきゃいけないのか…!割り切れない思いと、何だかこう…胸のつっかえのようなものがあります。


英語以外の言語を母語として生まれて来た多くの人たち(日本語では母語話者もそうです)は、苦労して英語を学んでいますが、ネイティブ・スピーカーにはかなわない。なにしろ英語ネイティブは、英語が母語なのですから、喧嘩になっても、腕力や、知力はともかく、英語力では圧倒的に有利です。まったくその通り不公平な話です。英語が権力をふるっていて、英語以外の言語が抑圧されている状況は、言ってみれば英語帝国主義みたいなものだというのは、まったくその通りです。

つまり、英語ネイティブでない人たちは、国際舞台に出れば英語が母語でないとう時点で、既に出遅れている訳です。

グローバル化がもたらすはずの”誰もが均等に機会(opportunity)にアクセスする事ができる世界”…はまるで幻想のようにも思えて来ます。そこで、鳥飼先生はこう述べています。


私たちは英語支配がもたらす弊害をきちんと直視し、危惧や懸念憂慮や批判を十分に理解し、多言語共生という理想を追求しながら、同時に「普遍語となった英語」を活用するしかなさそうです。



あー、先生…。もう拍手喝采しながら走り寄って、全力で握手させて欲しいです!!

先生は、もはや日本人が学ぶべき英語は、アメリカ・イギリスの英語では無く「国際共通語としての英語」だと言っています。その主張に至るまでに国際共通語とは何か?を、先生が実際に教えられたり、研究されたり、またご自身が若い頃に学習者として体験された経験を元に丁寧に定義しています。

その定義において「英語が全世界で使われているから」世界共通語だなどというデファクトスタンダード的な部分はごくマイナーです。全世界で使われているのは厳然たる事実で有りながら、だからと言って英語を母語として話す米英の人々ばかりが優位に立つ言語という位置づけの英語は、国際共通語ではあり得ないと断言しているのです。

全世界で話されるようになったからこそ、ノンネイティブにも通じる英語、ネイティブが歩み寄って解釈できる類の英語こそが新しい世界共通語としての英語だとしています。なぜなら、言葉は文化を体現し、時に文化そのものであるのだから、グローバルに協調して行くのであれば、相手の立場(文化)を重んじたコミュニケーションこそが求められて当然だという立場です。

一方、英語のまとう切り離し難い英米の文化は依然として存在します。英語とそれを切り離す事の難しさも承知した上で、英米文化的な脈絡を落としても成り立つ英語のコアを研究している学問もあるそうです。(グロービッシュ のこと…?)英語を母語とする米英人がノンネイティブスピーカーに向かって「英語がではそんな言い方しない。」などいう発言はこれからはナンセンスなのです。

最近、通訳学校時代の先生と話し込む機会が有りました。現在は市内の大学で教えてらっしゃるのですが、ゆとり教育のせいで学生たちは「驚く程文法ができない。」とおっしゃっていました。コミュニケーションの本質も見極めないまま「英語でのコミュニケーション力養成?」とやらにむやみに飛びついたしっぺ返し…のように思えてなりません。

この辺りについても、”言語とは難しくそれを習得するには覚悟が要るのだ”という事を敢えて主張。その上で、それでも訳読や文法教育の大切さとともに、コミュニケーションとは何かをじっくり見据えて”どんどん使ってナンボだよ!”と心強いメッセージを発信しておられます。

あまり書くと(いや、もうすでにかなり?)ネタバレバレ…なので、この辺でやめておきます。ですが、私の中にあった「英語共通語?」のモヤモヤを見事に解消し、そして日本人が進むべき方向を理路整然と示してくださった本だという気がして、ものすごく晴れ晴れとした読後感でした。

こんなに沢山のページに折り目を付けて読んだのは久しぶりです、笑。