2012年2月18日

逐次通訳の醍醐味 その2

4.デリバリー形態の差
ここで上記に述べた、逐次では「論理展開が”より”明確な形で再現することが求められる」ということを考えて見ます。なぜ”より”明確で有ることが求められるのか?ここまでは情報処理の観点から話しを進めてきましたが、オーディエンスの側から見たときの通訳デリバリーという側面から見ていくとその理由が見えて来ます。

同時通訳(ウィスパーとブースでは多少違ってきますが、ブース前提で進めます。)と逐次通訳のデリバリーの大きな違いは、オーディエンスが誰の話を聞いているか?です。もちろん、どちらも文字通りスピーカー/通訳の話を聞いていますが、同時では耳では通訳を聞きながらもデリバリーは目の前にいるスピーカーのものとして錯覚しながら聞いています。(そう錯覚させる通訳ができることが理想的。)


しかし、逐次通訳ではスピーカーは話し終わってしまっているため、スピーカーのデリバリーにおける”場”は置き去りにされ、通訳者へとオーディエンスの注意は注がれます。つまり、スピーカーのデリバリーの”場”を通訳者がデリバリー時に再現しなければならないということなのです。

スピーカーがいわゆる読み原稿をダラダラ読むタイプの話し方をしない限り、それぞれのスピーカーには独特の間の取り方、語気の込め方、目線の配り方があるわけで、それによって同じ文章を聞かされていてもオーディエンスの受け取り方は変ってきます。

逐次の場合は、スピーカーの発話段階では通訳者もオーディエンスですから、そういった要素に影響を受けながら論旨を理解し、そしてアウトプット時にはできるだけ自分が感じた”場”を作らなければなりません。


ただし、その”場”の理解はあくまでも通訳者の理解でしかありません。伝えるべきはスピーカーの意図です。そう考えるとオーディエンスの注意は、スピーカーが意図する発話内容に、より多く振り向けるべきだと言うことになります。

通訳という行為においてそれこそが求められる核心であるため、意図を伝えることを優先しながらバランスよく”場”を作ることが必要だといえるでしょう。(パーティーやレセプション司会の通訳などは例外です。進行を行い場を盛り上げることこそが彼らのミッションだからです、笑)

5.理想的な逐次通訳の手法
では、それをどう実現するのか?通常の話し言葉は、実は私達が自分で思っているよりも冗長です。テープ起こしのスクリプトを読んだことのある人ならよく分ると思いますが、話し言葉は書き言葉として読むと、非常に読みにくく分りにくいものです。もとのスクリプトは音で聞けば分るけど、読んだだけではよく分らない…というアレです。

逐次通訳では通訳者に割り当てられている時間は、最大でもスピーカーが喋ったのと同じ時間、というのが妥当なところでしょう。スピーカーを待たせていることを考えれば、なるべく早く終われるのが理想です。そうすると「どれだけスピーカーの冗長性を削り倒せるか?」が鍵になりそうです。

しかし、繰り返しや、表現の冗長さを単純に削ってしまうことには危険があります。単に言いよどんでいる場合には別ですが、たいていの場合、繰返しには意味があります。どうしても言いたいから、覚えておいて欲しいから繰返してしまう…という風に。その場合は、訳出の段階である程度の繰り返しも必要でしょうし、繰返さないのであればスピーカーの注意レベルの高いことを伺わせるような訳出を考える事で、繰返さないことによって起こるメッセージのズレを補ってやることが必要になります。

スピーカーが話す以上のやり方で、スピーカーの展開するロジックを”より”明確に浮き上がらせることでこそ、時間の節約が可能になり、通訳という行為の核心であるメッセージを伝えることが可能になるわけです。

6.まとめ
自分の中ではここまで書いたように(同時通訳に対して)逐次通訳をとらえています。冒頭に「完成度を上げようと思えば、逐次通訳の方が難しいと感じています。」と書きました。同時通訳も難しいことは言うまでもありません。

しかし、一般的に同時通訳では物理的に受ける制約(限られた時間内で完了すること/聞きながら話すこと/訳出までの受信情報量が限られること)が逐次通訳よりも圧倒的に多いため、いわゆる「訳として出せる完成度」に限界があるのです。言いかえれば、逐次通訳の方がより高い完成度を求められると言ってもいいでしょう。

それに、個人的な差異も大きいことから敢えて上記では取り上げませんでしたが、オーディエンスの注意を一身に浴びながらの逐次通訳では、心理的な負担も大きくなる傾向にあります。私はものすごいアガリ症なため、駆出しの頃は逐次と聞いただけで逃げ出したいような気分になっていました。

そうした心理状況を克服しつつ、完成度の高いアウトプットを目指して通訳するのが逐次通訳です。その逐次通訳をすることで、これまで述べた同時通訳との関連性からも、同時通訳にも良い影響をもたらすことは間違いありません。何よりここ二週間の逐次週間で、自分の弱みを新たに発見したり、再確認したり、思いがけない進歩を実感したりできたことは収穫でした。

「逐次にはじまり逐次に終わる」

よく言われる言葉です。通常は、逐次でしっかり基礎固めをしてから同時通訳に進みます。ところが、それをせずに同時通訳に移ってしまう場合もあり、結局「同時通訳しかできない通訳」になっている人が増えているような気がします。

「同時通訳しかできないんです。」と言いきる通訳者に出会ってビックリしたことがありますが、そういう方の訳出は表面的で分りにくく、ある小さな誤解/誤訳が原因で論理に矛盾が生じても気がつくことができず、そのため修正することすらできていないようでした。

初心に返って、今一度この言葉をかみしめてみる今週末です。