2011年5月18日

「ら抜き言葉」と方言

先日、ある何気ない日常会話をある通訳翻訳者としている時に「通訳翻訳する人に平気で『ら抜き言葉』を使われると、フツーにテンション下がる…。」とバッサリ切られてしまいました。

私自身も実はら抜き言葉は気になる方ですし、敬語をきちんと使えない人には心の中でイラッと来るタチであるため、正直これを聞いたときには「えっ…私がら抜き言葉喋ってる?」とかなり衝撃でした。


実際、自分の使った言葉、喋ったことばの響きに特に違和感がなかったので、その通訳翻訳者の言った事が本当なら、私は自分の喋る能力について飛んでもない誤解をしていたことになります。これにはかなり焦りました。

ちょうど、会話していた状況が体調も最悪の状態の時だったこともあり、そのため思わず変なことを口走ったのかしら…とか、アレコレ考えてみたのですが、少し頭がスッキリしてから考え直してみるとすぐに理由が分かりました。それは、方言、私が喋っていた広島弁でした。


相手は広島の方では無かったため、広島弁として使われた言葉を「ら抜き言葉」と理解したようです。というかよくよく考えてみると、方言とら抜き言葉の関係は非常に深い事が分かりました。具体例を見ながら、広島弁に現れるら抜き言葉を見てみます。

ら抜き言葉と言えば、「尊敬」には使われずもっぱら「可能」の意味を表現することに使われる事はよく知られています。

(規範文法表現)- (ら抜き言葉)- 広島弁
見られる - 見れる -見れるんよー
食べられる - 食べれる - 食べれるんよ~
着る - 着られる - 着れるけん
来られる - 来れない - 来れんわいね~
(車を)停められる - 停めれる - 停めれんけぇ~
今タイプしておもしろかったのですが、ら抜き言葉をタイプするときには≪ら抜き表現≫とわざわざATOKが教えてくれました。ATOKは判断基準として、いわゆる規範文法を認識しているようです。

しかし、こうした表現に対して規範文法で「ら抜き」を正としているものも少なくありません。

(規範文法表現)-(可能表現)-(敬語)
読む - 読める - 読まれる
書く - 書ける - 書かれる
切る - 切れる - 切られる
蹴る - 蹴れる - 蹴られる
などなど。ら抜き可能表現は「ら」を付けてしまうと、一様に尊敬表現になります。ここで気付いたのは、ら抜き言葉の尊敬表現には、オモシロイ事にそれぞれ独特の敬語表現が存在したり、「お」を付けることで敬語表現になります。

さらに、広島弁特有の敬語表現を持つものもあり、持たない場合には規範文法の法則に則り「ら」を付け加えることで広島弁の敬語になると言うことです。
(規範文法表現) -(ら抜き言葉)- 敬語表現 - 広島弁敬語表現
見られる - 見れる -ご覧になる - 見とって
食べられる - 食べれる - 召し上がる - 食べとって 
着る - 着れる - お召しになる - 着とって 
来られる - 来れない - お越しになれない - 来られん
(車を)停められる - 停めれる - お停めになれない - 停められん
そんなことを思いながらネットを調べていたら、Googleのサーチワードのペアに「ら抜き言葉」と「方言」のペアがありました。方言としてら抜き言葉が発達(?)というか、広く使われてきたというのは、紛れもない事実のようです。

そして、さらにあーでもない、こーでもないと頭の中でことばを繰り返し発音している時に、もう一つの「ら抜きの出来上がるまでの法則?」のようなものにも気づきました。

「ら」を付けることで一般的に可能を表わすことができる訳ですから、「ら」が無くとも規範文法で可能表現とされることばの原型には、やはり「ら」があったと考えられます。そこで、「可能表現原型」として可能表現に至るまでの過程を見ていくと… ローマ字で書くと一目瞭然です。
(規範文法文法表現)-(可能表現原型?)-(可能表現)
読む - 読まれる - 読める
yomu - yomareru - yomeru
書く - 書かれる - 書ける
kaku - kakareru- kakeru

(規範文法表現)-(ら抜き言葉)
見られる - 見れる
mirareru - mireru
食べられる - 食べれる
taberareru - tabereru
もう気付かれたでしょうか?「『ら抜き言葉』も可能と捉えられるかも知れない?と錯覚させている理由」が見えて来ます。「ら」を抜かして可能表現が成り立つものも、「ら抜き」では正しく可能表現が成り立たないものも、抜けているのは「ら」ではなくて実は「ar」なんです!

ことばっておもしろい!

私はことばを扱う職業ですから、規範文法にあえて挑んで「ら抜き言葉でもいいじゃないか?」とは言いたくありません。規範文法に則った正しい日本語を通訳でも翻訳でも使用するべきだと信じています。それに、標準語で話すときにはやはり「ら抜き言葉」は耳に付きますし、響きも私にとっては美しくなく稚拙に感じます。

しかし同時に、言葉には様々な側面があることを理解したうえで、表現豊かな方言も大切にしていきたいな…と思います。だって…

広島弁結構好きなんじゃもん。時々、ら抜き…で喋る私かもしれんけど、心を許してのんびり会話しとるんじゃと思って聞いてくれたら嬉しいんじゃけどなぁ~。あんたの話もちゃんと聞いとるけんね。「ら抜き言葉」なんか気にせんと自分の言葉で喋りんちゃいね!その方がきっとお互い楽しいに決まっとるよぉ!