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2010年10月27日

ベニース事件判決公判傍聴記録


去年11月に覚醒剤3KGを国内に持ち込もうとしたとして、関西空港で逮捕されたドイツ人エステティシャンの女性。男女ペアの英語法廷通訳人が同席して、この女性のいわゆる「ベニース事件」の裁判が行われました。三月のこの裁判の判決に対する報道はセンセーショナルでした。「通訳の60%が誤訳」と伝えられたのです。法廷通訳人でなくても、法治国家の日本でこんな人権を無視するような形で裁判が行われてよいのか?と注目を集めた報道だったと思います。
私も法廷通訳人の一人として大いに注目していたので、その他の所用と絡めつつ、10月22日(金)午後3時より大阪高裁で行われた、その控訴審の判決公判を傍聴してきました。


メディアでは「誤訳」が前面に出されてセンセーショナルに報道されるばかりですが、実は報道されていない事実や側面が数多く存在することが、実際に傍聴し、関係者と話をする中で分かってきました。できるだけ情報提供という形で、感想は「気づき」のレベルに抑えて書きます。判決が出たとはいえ、控訴の可能性がきわめて高い微妙な裁判の状況でもありますし、なるべく客観的に書きたいと思います。

1. 裁判開始前
傍聴券(30枚)配布開始前に行ったところ、すでに三名が並んでおられ、いずれも法廷通訳人かその関係者。少なくとも私以外に5名の法廷通訳者が傍聴券を手にしたようです。言語は英語、フィリピン語(タガログ語)、インドネシア語、中国語と多岐にわたり、当然の事ながら法廷通訳人の間でも関心の高い裁判であることがうかがえました。

2.判決公判
記者席には12名の記者が着席、前方の柵に足をかけていた記者が後半開始前に裁判長から「足を下ろしなさい。」としかられる一幕。当然かな…。

<手続き>

1)判決主文読み上げ / 5分程度
2)判決主文の事前英語翻訳の通訳人による読み上げ / 5分程度
3)判決の理由読み上げ / 約30分
4)判決の理由の事前英語翻訳の通訳人による読み上げ / 約30分

上記の順番で進みました。時間は正確には計測しておらず感覚的なものです。


3. 判決公判中

英語翻訳の読み上げが、主文、判決理由にしか分割されていなかったため、理由の読み上げが非常に長く感じました。実際30分近くかかっていたようです。別の裁判所では、長い読み上げに入る場合は、項目ごとに分けて読み上げるところもあるようで、この辺は全国的に統一はされていないようです。

判決内容については、各社報道が伝えるところを参考にして頂くのが良いかと思います。しかしながら、判決理由では「弁護側の独自の解釈に基づくものであって…」という言葉が、何度も裁判長の口から繰り返されました。弁護人側から提出された、通訳の誤訳とそれによる裁判員判断への影響についての見解、や通訳鑑定内容をことごとく否定する内容でした。

通訳人に強いられる負担が大きく、正確さを期すあまり時に不可能を強いる事態にならないか、という趣旨で、裁判所が通訳人の負担について言及しました。傍聴前にはなるべくネットや、本等で本件や通訳人のつく裁判について情報収集を行いましたが、通訳人の負担についての言及は、初めてだったと思います。

法廷通訳人は一字一句正確に通訳しなければならない上、言いよどみも被告人がしたように再現しなければならないと言われています。これに対して、被告人が実際に目の前でクリアに話をしていれば、通訳人がしどろもどろになったからと言って、裁判員の判断に特段の影響を与えるものではないと断定に近い発言が裁判官からあったのも驚きでした。

誤訳の例として鑑定書に取り上げられた表現も、判決理由の中で全て反論がなされ、鑑定書そのものが退けられた印象です。許される意訳の範囲であるという、裁判所の見解だったと理解しています。

英文で判決文、判決理由読み上げの際に、担当弁護士はずっと法廷通訳人の読み上げる英文をシャドーイング(フォローイング?)して、英語の翻訳内容を確認しているようでした。ご本人のブログにも有りますが、英語がお得意の弁護士さんのようです。


4. 法廷通訳人や関係者の指摘や疑問(含、私見)

いわゆる水野鑑定ですが、鑑定書であるにも関わらず、便宜上とはいえ訳例を示してしまったことは明らかに疑問をさしはさむ余地が有ること。

鑑定を行った水野先生が、ご自身のブログの中で通訳人の倫理的な態度について強く言及されています。(必ずしも一審の通訳について言及したものではありません。)言語鑑定という枠を超えて、実際に鑑定を行った方がそうしたところまで踏み込んで発言することには、影響力が大きすぎないかということ。一方、鑑定で誤訳、訳抜けを指摘された一審担当の男性通訳は「誠意を尽くした」とだけして沈黙を守る態度であったことが印象的でした。

意訳ではなく直訳…と言われますが、法廷通訳であっても通訳の本質はメッセージを伝えることでは?意訳なしで通訳になるのでしょうか?

弁護側の『無罪』の主張であるにもかかわらず、「懲役9年、罰金350万円は『重過ぎる』」と述べたところに矛盾があること。

水野鑑定では、通訳人の鑑定を行うとしながらも英→日の鑑定のみで、日→英の鑑定は行われていないらしいこと。むしろ、主語や時には述語を省いても成り立つ日本語の解釈を誤って英訳する可能性の方が高いのでは?

主文、判決理由は、基本的に担当法廷通訳人が事前に翻訳をしますが、翻訳した文書の翻訳の妥当性の検証は、誰の手によっても行われないこと。


5. センセーショナルな報道について(私見)

一審を見ていないですし、鑑定内容の抜粋だけを見てそれが誤訳かどうかを、私が判断するのは適当ではないと思っています。水野先生は一審の音声データを記録したCDを元に鑑定をされたそうです。しかし、本当に60%も誤訳、訳抜けが有ったのか?また60%の算出根拠は?等、疑問に思いました。鑑定内容も、ベースとなったとされる音声CDも公開されていないため、水野先生の「60%が誤訳だった」という言葉だけが一人歩きした感が有ります。全国にこれが報道されることで「日本の法廷通訳人の質はかなりヒドイらしい」という印象だけがメディアを通じて広められたように感じられて非常に残念です。(鑑定書の中では「60%が誤訳」とはどこでも述べられていませんが、メディアの取材に対して水野先生ご自身が発言されていたと記憶しています。記憶違いであれば、ご指摘いただければ幸いです。)

もちろん、その先に法廷通訳人制度の整備の必要性についての言及はされるものの「裁判所は必要ないと考えている。」というコメントだけを引用して、見ている人の反感を煽ってお仕舞…という印象が拭いきれませんでした。


6. 法廷通訳人制度の整備について(私見)

- 資格試験がない
- 報酬体系が不透明
(一般会議通訳に比べて負担も大きい上に、報酬はかなり低いと言われています。)
- 一般会議通訳と違い求められることが特殊で、精神的負荷も高いため敬遠されがち

整備が進まない理由は随分以前から言われてきたことです。しかし、こうした個々の理由が分かっているのならば、理由に対する対処を一ずつしていけばよいわけです。法廷通訳という分野が出来てから20年以上経とうとしており、その道で研究され分野を牽引してこられた有名な先生方もいらっしゃいます。今回鑑定人をつとめられた水野先生、テレビの報道にも出演されていた長尾ひろみ先生、そして刑事訴訟法ご専門の渡辺先生は、水野先生、長尾先生と並んで有名な存在です。分野としてある程度確立したにも関わらず、なぜ整備がすすんでいないのか?

次の文章に答えがあると思います。
1979年に日本が批准した国連人権条約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)の14条3(f)では、被告人は「裁判所において使用される言語を理解することまたは話事が出来ない場合には、無料で通訳の援助を受ける」権利が保障されている。

刑訴法175条と国連人権b規定の視点の相違が日本の通訳人の立場に関する理解を混乱させている。つまり、国際人権b規定のもとで裁判を行えば「被告人のため」に存在することになるが、実際は、日本での法廷通訳人の運用の基本は刑訴法175条に基づいて「裁判所のため」(公正な裁判の実現)の要員という理解である。
「司法通訳で学ぶ通訳現場」松柏社 序章 第2講より より抜粋


これを読むと、法廷通訳人整備の必要性を特段に感じない、という裁判所の見解も十分うなずけないでしょうか。上記に挙げた整備の進まない理由は、いずれも通訳人側のものであり、裁判所は「困っていない」からです。

例えば、被告人が「困っている。」という理由があれば、国連人権規定に違反するという観点で取組への着手も期待できます。しかし、被告人が困る状況にあることを誰が知りえるのか?弁護人かもしれませんが、多くの場合は被告人の言葉を代弁/通訳する通訳人である可能性が私は一番高いと思うのです。

仮に、通訳人が被告人の理不尽な状況について擁護する発言をすることで、資格や、法廷通訳人の制度整備を訴える場合、上記に挙げたような「通訳人側の理由」を抱えた状態での主張、代弁となるため利害の衝突が生じます。ここに法廷通訳人の大きなジレンマがあると思います。

7. まとめ

裁判所が、初めて通訳人の負荷に対して言及するなど、これまでよりも踏み込んだ発言はあったものの、今回の判決公判が法廷通訳人に対する一般の理解を深めるきっかけになるところまでは、残念ながら至っていないという感想です。

余談ですが、長尾ひろみ先生は私の中学高校と大学(もちょっとだけ…私は入学後半年もしないうちに、出来が悪くて退学してしまいました。笑)の大先輩で、最近になって母校大学の学長に就任されました。随分前からお名前と経歴だけは存じ上げているのですが、いつかお会いしていろいろお話をお聞きしたいと思っています。

2010年10月31日 一部加筆、修正。