2011年11月17日

通訳批判の在り方 - ダライ・ラマ法王会見

自由報道協会主催で行われたダライ・ラマ法王の会見をご覧になった方はきっと多いのではないでしょうか。私もぜひリアルタイムで視聴したかったのですが、あいにく仕事だった為つい先日やっとYouTubeで視聴したところです。法王様は英語ネイティブではないものの、いわんとするメッセージのクリアなことこの上ないと感じました。

ところが偶然、法王様のこの会見における発言の通訳について「ニュアンスが違うのではないでしょうか?」と発言された方がいらっしゃるのを見つけました。マリア・リン・チェンさんという法王様が来日の際には必ず通訳をされる方で、法王様の著作の翻訳にも携わっておられる方です。(この方の経歴についてはコチラに詳しくありますので、ご興味が有る方はどうぞ。)以下の動画は実際にそれを語っておられる映像です。

 

このマリアさんの経歴や、彼女の通訳で法王様の講話を聞いた方々のブログ記事を拝見したりして、素晴らしい通訳をなさる方なのだろうと言うことが十分理解できます。ただ、上記の動画でなされた批判には少しフェアじゃないな…と感じています。
出来ればYouTubeサイトに飛んで「もっと見る」のタブをクリックしてみて下さい。

まず、実際に通訳を担当された方がご苦労されたであろうことを考えて見ると、逐次通訳にもかかわらずなかなか止まって下さらないこと、だったかもしれません。ただし、メッセージとロジックは大変クリアだったため、長い時間話してはおられましたが、逐次通訳であとから追いかけてロジックを再生することはそれ程難しくなかったようにも思います。実際そうしたことも手伝ってか、通訳さんは法王のメッセージを伝えるという役割を十分理解し、通訳する際の言葉遣い、話すペース、話すリズムにまで気を配り、素晴らしいお仕事をされたと思います。

では、上述のようにマリアさんが「ちょっとニュアンスが違う…」とういう発言をしたのはなぜなのでしょうか?実は、通訳さんが法王様の発言から全ての情報を拾わなかったのがことの始まりでした。以下がちょうどのその部分を含む動画です。


非常に長い発言を逐次通訳するときにもとめられるのは、効率よくロジカルにメッセージを分かりやすく再生する技術です。通常人の発言は、書き言葉に比べればはるかに冗長で、同じことを1つのセンテンスの中で何度も”必要以上に”繰り返している、というのはよくあることです。(もちろん、その部分のメッセージをより強調したいという意図が含まれる場合には、再生段階でそれを考慮してメッセージを繰返すということは求められます。)

そこで重要になるのは、どの情報を捨てて、どの情報を生かすか?という判断でしょう。この通訳さんは、その場の判断で「具体的にどういう見地から法王様が原子力エネルギーに賛成しているか」という部分を捨て「原子力エネルギーに賛成する」という部分しか拾いませんでした。その時の判断は、通訳自身が持っている知識を最大限に動員して一瞬のうちになされます。そして、情報をある程度落とす…というのがこの時の通訳さんの判断だったというわけです。

<質問者の発言>
You stated in the past days that you are still somehow supporting nuclear energy. you say the nuclear energy is till a mean for poor countries to fill the gap between the north and south. It's a cheap way to achieve energy.

<通訳の訳出>
…法王様は、実際、原子力エネルギーに関して、原子力エネルギーに賛成すると仰っていますが、しかし、実際に法王様が訪問されました石巻や仙台など…

この判断が正しかったかどうかはおそらく意見が分かれるところでしょう。私だったらそれ程普段法王様の発言を追い切れているわけではないので(恥ずかしながら…)敢えて外すことから派生するリスクの方が怖い気がして、ここは訳出していたと思います。つまり、この時の彼女の判断は敢えて落としても法王様の意図は十分通じるという判断だったのだと想像されます。(正直ちょっと意図が十分通じる…と言う判断は苦しいかな、と思わなくもないのですが。)

私が疑問を感じたのは、その一瞬の判断に対して普段から法王様の側近のようにお仕事をされている方が”通訳の訳出内容”をターゲットにして
、自分の持てる背景知識(担当した通訳者がその場では訳出し得ない情報)を総動員して解説を加えた上で「…とお訳しになったのはちょっとニュアンスが違うのではないかと思います」と批判されたことです。出来ればここは、法王様の普段からの発言をよく知る者として「法王様の発言の意図は~だったと、私個人は考えます。」ということは出来なかったのでしょうか?

さらに、フェアじゃないな…と思うのは、このビデオの中でモデレータをつとめる男性が

「…この通訳の方は解説、説明をして下さいました。確かにダライ・ラマ法王様は原発を推進しているというふうに認識しておりますというようなことを、この外国の質問者が言ったと言うところですが…」
と、発言している点です。確かに、相互コミュニケーションを円滑にするために、ある程度の背景説明を加えることが通訳に許される場面もあります。しかし、こうした類の記者会見で、通訳がそのような説明・解説を加えるということは、稀だと個人的に思います。実際に、担当した通訳さんは情報を「拾わない選択」はされましたが、説明や解説は一切加えておられません。

また、上記の通訳発言の書きおこしを見て頂ければ分かりますが、この部分では少なくとも「原発を推進している」とまでは言っていません。「推進」と「賛成」には大きな差が有ります。

このサイトの「もっと見る」タブを開いていただくと分かりますが、この発言がなされた部分より後に、法王様がより詳しく自分のお考えを述べられたところを「マリア・リン・チェン訳」として掲載されています。この部分の彼女の訳出は、当然プロセスとしては「通訳」よりは、むしろ「翻訳」になっていると言ってよいでしょう。

最後まで内容を聞いた後で書き起こす「翻訳」と、その場で言葉を聞きながら訳出する「通訳」とを比較の対象にすることを是とすること…私はとても違和感を感じます。仮に、前述のようにマリアさんが「法王の意図」をより詳しく事情を知る人間として補足したいと考えてのこうした動画であれば、私もまた違った捉え方をしたかも知れません。

しかし、明らかに冒頭から「ダライ・ラマ法王が原発を容認する発言をしたとい­うことで、ダライ・ラマ法王に対し批判の声があがっているようなので、本当のところはどうなのかを、ダライ・ラマ法王の日本語通訳を長年に渡り務めているマリア・リンチェ­ン氏にインタビューを試みた。」と、通訳に全ての非があるような誘導がされていることは納得がいかない気持ちです。

実際「条件次第では容認する」という姿勢を法王様がとられたということを、マリアさん自身も動画の中でおっしゃっています。であれば、「
原発を容認する発言をしたとい­うこと」で批判の声が上がったのは何も通訳のせいでは無いはずです。

一瞬の判断をより正しいものにするために、通訳は日々情報収集し、事情に通じるように努力しています。知識レベルは経験年数だけでなく、専門、得意分野によって同じ通訳さんでもまちまちでしょう。しかし「通訳は自分にもてる最大限を動員して、一瞬の判断で最良の訳出を試みている」ということを、多くの人に認識して欲しいと思うのです。もちろん、明かな「誤訳」であれば批判の的になるのはやむを得ないでしょう。

この動画については、「法王様に近い」マリア・リン・チェンさんという方が、そうした通訳に課せられた責務をよく知る「通訳」の立場からされた批判である、と言うことを考えても、私個人としてはフェアでないし、非常に残念だ…思います。


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例年、3月の決算締め月に向けて皆さん予算を使い切ろうとなさるのか、2月中旬から通訳業界は多忙を極めます。そんな中、 なんとかかんとか確定申告を終わらせて、週末にほっと一息ついているところです。 このブログのオーナーである私は、今でこそ東京住まいですが、出身の広島には頻繁に帰省して...