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2017年6月28日

残業は悪か?


先日、日本の大手企業の管理職研修の仕事をしました。その一環として上級幹部社員との対話がおこなわれ、初めて管理職に昇進した若い社員たちが口々に事業継続性の危機感について質問を投げていました。仕事を効率的にしたい、おもしろい変化を起こしたい、お客様に喜ばれたい…そう思っても様々な規制に阻まれてそれができない、一体我が社は生き残れるのか?というものでした。その規制の一つが残業規制でした。電通の痛ましい事件以降、特に各社の自主残業規制が強まりこの企業も例外ではなかったようです。

昭和の高度経済成長時代は、プロジェクトのために多くの人が情熱を傾けて仕事をしてその対価が残業代という形になっていたのだろうと思います。ですが、良い商品を作るには時間がかかります。商品を発案し技術開発をおこない市場との整合性を検証し調整してさらに宣伝広告した上で市場投入に至ります。それには多額の投資が必要です。なぜなら、市場で認知され販売による収益が上がるまで、それらの活動や成果物は企業に対して何の利益も産まないからです。

戦後世代の情熱と努力の賜物として日本には優れた「ものづくり」の文化が生まれました。このものづくりでは、「もの」を相手にしているだけに市場投入までの時間(TTM: Time To Market)がどうしても長くならざるを得ません。そこに注ぎ込まれる技術の発案やテストには多くの才能と技術を必要とします。昭和の経済成長は企業の社員達が、現行プロジェクトの仕事を済ませた後で夜遅くまで残業して研究開発をコツコツ進めた成果だったのではないでしょうか。

この朝日新聞の記事を受けてSNS上では「仕事終わって、会社でなにしてんの?」という声が多く上がっていますが、その前提は「残業収入をあてにしてるだけのつまらない社員」という見解でしょう。しかし、残業という言葉にはいつからそんな「うしろめたさ」がつきまとうようになったのでしょうか。

今は何でも工数管理され、承認されない事には手をかけることが許されません。承認されたプロジェクトでさえ失敗すれば社内的に処分の対象になりかねません。そもそも、研究機関や大学にさえこの流れが押し寄せる日本で、自由な発想、自由な研究はどうやって生まれていくのでしょうか?

仮に、仕事に関わる研究や能力開発を仕事の外でしたとして、それが後に企業に大きな利益をもたらしても、今の日本の企業制度の下では個人がそれに見合う見返りを得られません。ノーベル物理学賞を受賞した中村修二さんの例のように、また彼自身がノーベル賞受賞時に強く示唆したように、優秀な頭脳は確実に海外流出していくでしょう。「優秀な社員から辞めていく」という声は先の会議の社員の声として聞こえていましたが、これはすでにその流れが押し寄せていることを如実に表しています。

残業規制が流れとして出てきたことは、そうなる背景が存在していたことも認識していますし、個人的に否定の立場はとりません。残業という言葉の裏側に「うしろめたさ」をつきまとわせる原因を作ったのは誰なのか?率直に言えば、日本企業の社員達が直面する閉塞感は、時流を読まず既得権益にしがみついた経営陣の判断ミスによるところが大きいと私は考えています。

しかし全ての責任が一部の人達にあるわけではなく、現実には、現状に満足して世界の時流に追い越される自分達を見失った私達全てに問題があったと言わざるを得ません。裏返して見れば、私達の多くにとって、閉塞感に満ちた現状は、時代や社会の雰囲気になすすべなないまま、あるいは気付かないうちに流されてしまった結果とも言えます。

そう考えると、先日の会議で聞こえた企業社員の悲痛な声「仕事を効率的にしたい、おもしろい変化を起こしたい、お客様に喜ばれたい、でも残業規制が厳しすぎて…」に、なんともやりきれない気もしますが、同時に「まだまだ捨てたもんでもないのかも?」とも感じることができます。ありきたりかもしれませんが「ピンチはチャンス」日本企業、まだまだ頑張れ!…な感じです(笑)