2016年3月23日

Hiroshima's Revival 発売

広島在住のお友達 Pauline Baldwinさんの翻訳による「Hiroshima's Revival」(「広島の復興」英語版)がフタバ図書さんで発売になったそうです。私もまだ忙しくて手に取れていないのですが、Amazonの評価は上々で早く読みたいと思っています。(下記リンク先はAmazonで日本語版書籍です)

広島の復興 / Hiroshima's Revival

広島は世界で最初の被爆都市としてあまりにも有名ですが、悲惨な過去から復興して今ではとても美しい町に生まれ変わっています。そのことも多くの人に知って欲しい…と、随分と長いこと考え続けていました。

原爆の悲惨さを訴え続けることは二度と被爆者を生み出さないという決意を新たにするに必要なことですが、同時に人間の生きる力の力強さや尊さを、廃墟の中から立ち上がった広島の人々に感じてほしいと思うのです。世界中で戦争やテロ行為がほぼ日常的におこなわれている現在、打ちのめされてしまった人々に希望を与える事のできる存在もまた重要だと感じます。

この一冊が世界中の災害、戦争、テロ等に見舞われた多くの傷ついた人々の手に届き「人間を信じること」に希望を与える存在になればいいと願っています。

4月には本書籍の市長による記者発表がおこなわれるそうです。みなさんも書店、Amazonなどでぜひチェックして、可能であればお友達に紹介して下さると嬉しいです。

2016年3月12日

翻訳者・通訳者の矜持 ー AlphaGo vs. Lee Sedol の対戦に思う

機械翻訳は超低品質(論理的文章の体をなさない)とされその訳文をネット上でたびたび糾弾されています。しかし、機械翻訳品質が向上して上手くはないが使える訳文を出すようになれば、ネットに氾濫する悪文に慣れきった人々はそれが機械翻訳とも気付かないかもしれません。

仮にその状態が長く続き翻訳者が「人間翻訳は大丈夫」の態度を続ければ、刻々と起こりつつある機械翻訳の劇的な品質の向上に気付かないまま、ある日突然に翻訳者がまとめてお払い箱になるという事態が起きてもおかしくありません。…とは極端でしょうか。私はどうしてもそう思えないのです。

翻訳者がいつまでも「今の機械翻訳レベル」を批判し続けることにあまり意味がない、そのことに気づかないといけないと思うのです。でなければ当然、気付いたら「機械翻訳で十分足りるのであなたは要りません」という時代が来る。私が問題だと思うのは「いつ来るのか」の判断を「人間翻訳は大丈夫」とうそぶいて翻訳者自身が放棄し、現実を見ようとしていない(ように見える)ことです。

昨今の機械翻訳技術の進歩は、いわゆるAI(人工知能)の進歩に続くものになるのは間違いありません。むしろAIがたどるであろう、解釈・論理構築・思考・試行・実行というプロセスを考えれば翻訳はその影響を直に受ける分野と言えるのではないでしょうか。私も一昨年末から仕事がらみでAIについて勉強することが数回あり、大変注目をしていました。数冊AI関連の本を読んだり勉強会に出席するなどしましたが、AIのロジックなど難しくて理解するのを放棄したい気になる感じです。しかし、カナダ・トロント大学から始まったDeep Learningの出現によりコグニティブコンピューティングの基礎が固まり始め第三次AIブームが到来した言われる現在、第一次、第二次とは違った大きな波が来ていることくらいはうっすら理解できている、そんなレベルにはありました。

ですが「人間翻訳」が負ける日は必ずやってくると考えながらも、機械翻訳の急速な(向こう10年程度の)能力向上には懐疑的で、私が生きている間は少なくとも影響ないかなぁ…となんとなく呑気に考えていました。ところが、昨年GoogleがTensorFlowのオープンソース化を発表し、それに関係する記事を読み始めた頃から十分読める機械翻訳の可能性について危機感をひしひしと感じるようになりました。そして先般のAlphaGoと韓国人トップ棋士Lee Sedolの対戦でLee氏が敗れ「一度も優勢に立てたと思わなかった…」と発言したことには衝撃を受けました。向こう10年は…などという考えはもう通用しないような気がし始めています。

翻訳はこれまでの翻訳物がデータとして残っているため、AIに学習させるためのリソースは大量に存在しています。もちろん、正しい(望ましい)リソースを選別して分野に最適なLearningをさせることが必要になりますが、産業界にニーズがありビジネスの可能性が大きくあるのであれば、実用はそれ程難しくはないし業界(翻訳)への適用はかなり早い時期に実現すると考えられます。

日本の大きな翻訳者団体でも機械翻訳の訳文を評価する試みが行われているようです。私が読んだレポートによれば、機械翻訳の訳文は機械翻訳を提供するサービス側では好意的に見られ、翻訳者にはかなり批判的に評価されていたようです。ただ、評価の対象となっている機械翻訳のプログラムレベルが圧倒的に最先端技術とはかけ離れたところにあるものであり、業界をリードする翻訳者団体が将来的な機械翻訳の可能性を全く議論せず、専門的な知見を殆んど取り込んでいないように見えたことは大変残念に感じました。

機械翻訳が「使えるレベル」になる日は必ず来ると思います。それは「いつ」なのか?恐れたところで翻訳者(通訳者も)は「人間にできる」事を今までどおり地道に努力して続けていくしか有りません。ですが、いつまでも現実から目を背けて「人間翻訳優位」を信じ続け機械翻訳をこき下ろしてばかりいていいのでしょうか。それは個人の翻訳者も翻訳会社も同様です。

むしろ、業界は積極的に機械翻訳の発展に貢献することで、機械にできないことは何なのかを翻訳者や通訳者に提示するという姿勢を持って欲しいと思います。そして、翻訳者も通訳者も「機械翻訳」の動きを揶揄するような口調をやめ、生き残るために着目すべきは何か(あるいは、生き残れるのか…?)を、より積極的に考えるべき時期に来ている。そんな風に感じます。そして、その姿勢こそが人間翻訳者・通訳者の矜持ではないかと考えます。