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2016年5月26日

オバマ大統領の広島来訪

明日、アメリカのオバマ大統領が戦後初めて現職の大統領として被爆地広島を訪れます。大統領の来広が決まった時にひどく喜んでいる自分自身に驚きました。

広島生まれ、広島育ちで、広島の外に出て仕事をするようになったのは35歳を過ぎてからです。広島で何が起きたのか知らない人、誤解している人が数多くいることに驚きました。「広島を見て感じる」ということを子供の頃からしてきた自分を強く感じます。

明日は私自身は仕事で広島におらず、リアルタイムで大統領の言葉を聞くことはできそうにありませんが、静かにオバマ大統領の言葉を待ちたいと思います。


とても良い記事。ぜひ。

2016年5月10日

キャリアと子育てー 後編「両立の意味」

でもそんな幸運な私でさえ「自分の感情と折り合いをつける、子どもを信じる、自分を信じる」ということがなかなかできず、一時期はかなりのストレスを抱えていました。ところが、事の只中にいる時にはそれが難しさでありストレスのもとだとは、ほとんど気がついていなかったのです。様々な局面をくぐり抜けて振り返った時「難しかったのは選択そのものではなく、どう目の前のことを受け入れるか」だった、そう理解できるようになりました。

家事と勉強、仕事を両立できずに入退院を繰り返した頃、主婦業をすべて一人でできない自分を受け入れられませんでした。専業主婦だった自分の母から潜在的に「家事は女のもの」という固定観念が作り上げられていたようです。そして、何の感情も無く嫌がる子どもを保育園に預けたり、オーストラリアへ連れて行った訳ではありません。園で別れ際に泣き叫ぶ子どもに罪悪感を募らせ、遠いオーストラリアの地で体調を崩す息子を見ては、やはり自分を責めました。ましてや平気で不登校の娘を置いて東京で仕事をしていた訳ではありません。仕事をほんの一時期控えたこともありましたが、私は娘に対する他でもない「自分の気持ち」に後ろ髪を鷲掴みにされながら東京へでかけ続けました。

今、いろんな通訳キャリアのフェーズで子育て真っ最中の方はたくさんいると思いますが、皆さんの取れる行動の選択肢はたった一つで、体を酷使し尽くしてもできることは限られています。そんななか私自身、日々「思うようにできない」という自分の感情と格闘しながらも「後悔しながら進まない」ということをやっと意識できるようになったのはつい数年前、娘が不登校になった頃だったでしょうか。

社会は暗黙のうちに「産め」というプレッシャーをかけ、産めば「産んだ自分の責任」と公然と突き放し「冷たい大衆の視線」があふれています。そういう社会の中で、目の前の子どもの求めに応じる事ができないジレンマでただでさえ引き裂かれるように心揺れる親という立場にいることは、職業を持つ持たないにかかわらず易しいことではないと感じます。「正しい子育て」をするよういつも社会からも自分自身からも迫られている、そんな気さえします。

「正しい子育て」という意味でいえば、いつも私が「正しい選択」をしていたなら娘は不登校にはならなかったのでしょうか。わかりません。結局、気持ちは娘に寄り添うことを最優先にして、でも仕事量を減らさないという決断をしたわけですが、「仕事を辞めるべきだったのか…」と思い悩む日々は続きました。ですが、ある時期から、自分と子どもを信じて「力ずくで納得して前に進む」そういった「潔さ」を身につけて行くしかない…と思うようになりました。

見方によっては「勝手」と取られるかもしれませんし、実際に私自身かなり勝手な生き方をしてきたと思います。しかし「勝手でごめんなさい」と言えば、苦労を引き受けた子ども達は何かに溜飲を下げるのでしょうか…。むしろ、月並みですが「ありがとう」と心から言えるよう自らを潔くし、周囲の理解に自分なりに報いるだけの「『自分が』満足できる成果」を出したいと思える意志を強く持ちたい、と思うようになりました。

自業自得、因果応報、人間万事塞翁が馬…事が発生した後ではなんとでも理由付けは可能ですが、そうした理由付けの多くはこと子育てに関してはあまり意味がないように感じます。先日、翻訳者の知り合いがTwitterに書いていたのですが、そのくらい「子育てには親の努力や根性では乗り超えられない壁が多すぎる」と思います。ですから、壁の原因を探して対処療法ばかりに走ったり責めを延々と自分で受け止めて苦慮したりするより、変えられない過去をどう受け入れるのかに注意を向けられたら、と思います。あるいは、何の根拠もなく「とりあえずこれでいい」と信じることができればそれでもいいように思います。

また、何かを「する選択」があれば「しない選択」も有ります。よく「後悔するくらいならなんでもやってみよう!」と言われますし私もそう思います。そういう思想の持ち主なら子育ての環境の中で何かを「しない選択」をすることは、「する選択」をするのと同様に勇気が必要なはずなのです。ですから、矛盾して聞こえますが、子育をしながら何かを「しない選択」をすることを後悔する意味も無いように思うのです。

私のように東京へ出る選択をせず広島でがんばるママさん通訳、フリーランス通訳ではなく敢えてインハウス通訳者としてがんばるママさん通訳、海外在住で東京へ通いながら仕事するママさん通訳を知っています。もっというと、地方在住の家族と離れて東京で単身赴任しながらがんばるパパさん通訳もいます。それぞれ、子どもや家族との関わり方は異なり、どんなリソースのかけ方をするのかはけして同じである必要はないはずです。つまり、親として何が正しいかを決める(信じる)のはやはり自分でしかないと思います。

もし、あなたがお子さんを持つ働くお父さんあるいはお母さんなら、沢山考えて悩んで自分の行きたいと信じる道を選んで下さい。その後に続く「自分の感情と折り合いをつける」ということも「自分の納得できるような成果を出す」ということも、とにかく難しいことばかりです。でも、同時に「自分の選択を許してくれる環境」に素直に感謝することは、勇気をもって決断した自分を信じ「今を受け入れながら」歩いて行ければ自然にできるようになる気がします。

かくいう私もまだまだ「これでいいのだ!…よね?」と自問自答しながら歩みを進めているので、説得力は今ひとつ…かもしれません。ただ、子どもはいつまでも「こども」ではなく必ず成長します。子どもの成長とともに自分の気持ちとゆっくりでも「折り合い」をつけていけばいいのではないでしょうか。

娘の例で言えば、不登校はけして「解決」したわけではなく「その時期を過ぎた」だけだと思っています。当時の私の行動を判断すれば、私は「正しくなかった」かもしれない…という痛みは有ります。ただ、娘の方も当時なぜ不登校になってしまったのか彼女自身「わからない」ところもあるようです。そして「わからない」をそのまま残して前に進んでもいいと今は思っています。

正直なところ子ども達が「かあさん」である私をどう受け止めてくれているのかまったくわからないのですが、私の方は成長した子ども達を彼らが小さかった当時とはまた違う形でいっそう愛おしく思えるようになりました。そんな今の自分は幸せだと思います。そして私のキャリアはまだまだ長い道のりではありますが、目指した当初と変わらず「仕事したい。きっとまだ上手くなれるはず」そう思える会議通訳という仕事に出会えたことを、やはり幸せだと思います。

「子育てと仕事の両立」の形はけして一つでは無いはずです。そもそも「両立」という言葉の正しさはどこにあるのだろうか?と考えずにはいられません。

なんだかちょっと両立論とはちがってしまったかも…(苦笑)

2016年5月1日

キャリアと子育てー 前編「私の場合」

つい最近、ある女性会議通訳者がアクル社ウェブサイトの「現役通訳者のリレー・コラム」に「フリーランス通訳と子育ての両立」というテーマで寄せたコラムを読んで、根底にあるメッセージは同じかもしれないけど、私が書くと違うものになりそうだと感じました。実は、個人の置かれている環境は人それぞれであるため、「生き方」の類で持論を展開したところで何か他の方の参考になるようにも思えず、このブログではなるべく子育てや家族といった個人環境については取り上げないようにしてきました。ですが、私の歩いた道のりの中で考えたこともどなたかへのヒントとまではいかなくても、何らかの形で勇気づけることができるかもしれない…と、先の女性通訳者のコラムを読んで気付いた次第です。

くだんのコラムの通訳者との大きな違いは、私はまだ通訳者としての実力も実績も十分でない時期から子育てが始まっていたということ、さらに地方で活動していたということです。その辺りも意識しながら、私がフリーランス通訳者として今に至る経緯も書いて見たいと思います。少し違った切り口ではありますが、数年前のハイキャリアさんインタビューのVol.52 「ワークはライフ、ライフはワーク(前編)(後編)」の中でも書いていますのでご興味がある方はどうぞ。

私はご存知の通り広島はマツダ株式会社のお膝元在住です。マツダといえば90年代後半にかけてアメリカのフォード社との提携関係を強め(トップに多くのフォード役員が名を連ねた時期がありました)当時のマツダ広島本社では常に嘱託社員待遇の通訳者の募集をしていたと記憶しています。私自身、英語を勉強すれば通訳でなくともマツダに職を求められるかもしれない…という計算はどこかに芽生えていたように思います。

ところが私が英語の勉強を始めたのが96年頃で、通訳どころか英語を一からやり直すという有様。同年に生まれた娘は今年20歳になりますが、娘を出産して一年半後には長男も生まれ、同時期に通訳学校に通い始めたものの勉強のペースはなかなかままなりませんでした。幸か不幸か夫は長女が幼稚園の年中の頃まではほぼ単身赴任状態でしたので、子どもが寝てから後の時間をすべて自分の時間として勉強に捻出していたという感じです。

通訳学校に通い始めたきっかけはある通訳者の講演会を聞いて触発されたことだったのですが、当時は必ずしも「通訳」を目指していた訳ではありませんでした。子育てで家庭に入ったことで社会と隔絶されてしまった自分に打ちひしがれていたところへ、「英語」「マツダ」「広島」というキーワードでなんとか社会復帰しよう…と先の見えない道を進んでいた感じです。

そもそも社会からの疎外感の根源にあったのは「経済的に自立していない自分」に気付いてしまった時の衝撃でした。そして、小さな子どもを育てている多くの親御さん達が経験する事だと思いますが、私にも不安にとりつかれ精神的に安定しない時期がありました。夫の単身赴任ですべての子育て責任を自分で果たさなければならない状況で、精神的に揺れてしまう自分…。悩んだ末「精神的な自立のためには、経済的な自立が必要」と意識的に考えるようになるのは、長女が小学校に上がる頃でした。

子ども達を平日の昼間に公立の一時保育に預け通訳学校にでかけました。二人を連れて半年間オーストラリアへも留学しました。小学校一年の娘に学童保育から帰り道の託児所に三歳にならない長男を迎えに行かせて、フルタイムの派遣の仕事に出はじめました。その間に夫の単身赴任は終わりますが、家事分担のバランスが分からず数ヶ月ごとに過労で倒れます。家事のペースはなかなかつかめないまま、それでもフルタイム派遣の仕事で残業も進んで引き受け、下の子が小学校に上がると海外出張へも行くようになります。一時病気入院をしたことで派遣切りの可能性を現実味をもって認識、フリーランスへの種まきを始めます。そしてそのうちリーマン・ショックで派遣切りが現実となり、本格的に東京へと仕事へ出かけるようになり今に至ります。

こうしてみると私はけして子育てと仕事を上手く両立できているとは言えず、自分は好きに自分の選択をしてきただけで、むしろ、子どもが健康で無事に「運良く」育ってくれたと言ったほうが適切なように思います。幸いなことに、好き嫌いせず何でもよく食べる子ども達でアレルギーもなく、病気も人並みにしたという程度です。そんな状況で「子育ての苦労をした」と言うにはあまりにも傲慢なように思えます。

一方、子どもたちはやはり「苦労」ともしらず苦労していたのではないかと思います。通訳学校に通うために預けた一時保育に泣き叫ぶ二人を置き去りにしました。幼稚園のお迎えはいつも最後。留学先へ無理やり父親と引き離し連れて行き、帰国当初は「父さんと離れるならもう行かない」と言った息子の言葉が忘れられません。そして一番辛かったのは高校生になった娘の不登校でした。

これはつい数年前のことです。私の東京滞在中に「今日も休んでる」という連絡を受けては、一人自宅マンション10階にいるであろう娘を思うと生きた心地がしませんでした。夫も何度となく彼女を学校まで送り届け、出勤までに登校しなかった日は会社を早退して様子を見に帰りました。「信用して大丈夫、お母さんが仕事に行けば『なんだ!』と反抗心も出るけれど、休めば『自分のせいで休んだ』と思うのだから、普段通りに振る舞って」という学校の先生の心強い言葉にすがるような気持ちで、東京での仕事のペースは結局は落としませんでした。それでも気持ちが落ち着くということはもちろんありませんでした。

これまで教えた生徒さんや友達から「どうしてそこまで(犠牲を払うことが)できるんですか?」と何度も聞かれましたが、本当のところを上手く説明することはできませんでした。ただ言えたのは上述した「精神的な自立を得るために、経済的な自立をしたかった」ということだけです。ですがそのために家族にかけた負担や東京往復にかかる経済的そして肉体的負担は膨大であり(今もそれは続いているのですが…)それでも根底で私を支えているものについて説明することは難しいので止めておきます(笑)

しかし一つ言える事があります。それは「通訳という仕事を見つけたこと」が自分にとってとても大きかったということです。「経済的な自立」だけを目指すのであれば、当時であれば派遣社員をした後に正社員で働くことはまだまだそれ程難しくありませんでした。実際に幾つか英語を使う別の職種で熱烈に正社員職へのオファーも受けましたが、それらをすべて断れるだけの思い入れを「通訳」という仕事に見いだしました。他に専門が無ければ英語/語学を学んでできる仕事は「通訳」「翻訳」「教える」の3つで、そのすべてを経験しましたが「自分は通訳が好き、上手くなりたい」と素直に思えたのです。この「通訳」という仕事への思い入れが、その後の私を支え続け、今も支えてくれています。その上で「上手くなるにはどうすればいいか」を常に考え最優先させてきたように思います。

と考えてくると、全然両立へとたどり着かない…(苦笑)

何度も言いますが、私は幸運だったのです。ここまでなんだか全然勇気づけの要素なく、参考にならなそうな仕上がりですが、もう少しお付き合い下さい。