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2015年4月30日

「思考力の方法ー”聴く力”篇」 外山滋比古 著

久々に本屋にブラっと寄って手にした一冊でした。外山滋比古氏と言えば「思考の整理学」があまりにも有名。(以前にここでも紹介しています。)「思考の整理学」はもう随分前の執筆ですが、本屋では最近出版された氏の書籍を何冊も発見しました。実際御年92歳でいらっしゃる上、昨年秋からの著作がなんと既に4冊!「え…死んじゃうの?」とエラく失礼な心配してしまったのは内緒です(笑)

閑話休題。そこで一番新しい著作を手にしました。

思考力の方法 ―「聴く力」篇
もともと言葉は「聴く」が基本であり、その先に「話す」「読む」「書く」があるはず。ところが、特に明治の初め西洋の文化を取り入れるころから戦後に至る日本近代史の中で「読む」「書く」が偏重され「聴く力」は置き去りにされてきた。この概念を基底として説明した上で、日本のことばの魅力と「現在の日本語」の問題点を検証した内容になっています。

「聴く力」が軽視されているという主張にとても同意します。ことばはそもそもコミュニケーションを目的に生まれたものです。伝えたいという思いありきで生まれたことばはそれが理解されて初めてコミュニケーションが成立します。

昨今の「はい論破」「今北産業」に見られるような、簡潔に全ての無駄を削ぎ落とした、しかも相手の話を「聴く姿勢」を全く許さない形までコミュニケーションとする風潮にはどうも馴染めない私でした。説明する側の「簡潔にまとめる」「理路整然と説明する」能力ばかりが求められ、聴く能力は特に問わない…。

TPOに応じた論旨展開はもちろん求められますし、伝わる話方ができるということを否定しているわけではありません。しかし、結論ありきでの論理展開はやはり西洋的で、日本文化を背景として培われた日本語の自然なアピール、つまり「ことばとしての日本語」を考えた時には必ずしも馴染まないということを外山氏は示してくれていると感じました。

一方でそういう日本語だからこそより「聴く力」が求められる気がします。(たとえ既知のことを耳にしても)スピーカーなりの解釈を聴く側が探りながら聴き、自分の考えと照らした時にそれが新しい文脈として自分の中にどう展開していくのか?それができることで、初めて相手に対しての問いかけができるはずで、さらにトピックに対する自分なりの理解を深められる…そして、私は日本語ではそういう展開の方が馴染む場合もあると感じていました。

英語では結論から初めて、なぜなら…と展開していくのが常であり、日本語でも学会、論文、プレゼンの場等々ではそれこそがあるべき姿と捉えられています。でも、常にそうなのか?それだけが正しい展開の仕方か?と、ずっと私は疑問に感じていたので、氏の問いかけには心強いものを感じました。

さらに、聴く力を培うことで自分の理解を深めることができ、その過程でさらに重要な意味を持つのが信頼関係の構築だと私は考えています。会話であれば相手の話を聴く姿勢の有無は信頼の構築に大きく左右します。また、それがプレゼンであればスピーカー自身に対する興味をオーディエンスの「聴く」という行為を通してかきたて、スピーカーに対する信任が形成されていくと思います。しかし、そこに「聴く力」が存在することが必須。

話し言葉を相手にする通訳として「聴く力」がなければ仕事ができません。しかし、果たして自分は「聴く」ことができているのか…。改めて、日本語を聴くことの難しさ、深さを考えるよいきっかけになりました。