2014年9月28日

JTFジャーナル 2014年秋号

日本翻訳連盟(JTF)によるJTFジャーナルが発行されたようです。ダウンロードして読めますのでご興味のある方は下記のリンクからどうぞ。

この度は、6月に開催されたIJETのダイジェスト版的な内容になっていますので、参加がかなわなかった方には美味しい一冊?といえるかもしれません。

JTFジャーナルWeb

2014年9月26日

翻訳百景に参加しました。

この翻訳百景は文芸翻訳者の越前敏弥さんがなさっている活動で、通常は夜開催のところをこの度初めての試みということでお昼間の開催で、しかも、直前にFBの知り合いがアナウンスを再度流してくれたためにギリギリのタイミングで参加申し込みして、翌日に参加となりました。

内容は、翻訳者が心得るべきことを翻訳事例を上げながら説明した前半と、文芸翻訳者の収入を視野に入れながらどうチャンスをものにしていくかというキャリア開拓についての後半、という構成でした。

文芸翻訳者のみならず、翻訳者が翻訳する上での基本姿勢、さらに仕事を得る上での心構えをギュッと凝縮して聞ける講座だったと思います。これ以上の具体的な内容にはここでは触れませんが、一つ質問したことが有りました。

「印刷物の流通が少なくなる中で、文芸翻訳が生き残る道として日本の出版社を介さない新たなプラットフォームを構築し発信する動きはないですか?」というものです。先日ここでも紹介した佐藤秀峰さんの取り組みにヒントを得ているのは言うまでもありません。

文芸翻訳者の収入については具体的な数字を出されながら、業界や版元が取ってきたあらゆる変化によって10年前と現在の「文芸翻訳で収入を得る」ことがさらに難しくなっている現状を自ら話されたことがきっかけになって質問してみました。この話についてはIJET25でされたお話の内容だそうで、アルクサイトの翻訳のトビラに一部まとまっているのでご興味ある方はぞうぞ。

『一部そういう取り組みをしている方は居るようである。ただ、どれほどの成功を収めているかは分からない。文芸翻訳の場合、翻訳の元になる書籍の著作権問題がからむため、版元との交渉など超えなければならないハードルが沢山ある。考え方としては面白いし、だれか力のある人がやってくれないかな、とは思う。実際、将来的にはそういうことができなければならない、或いはそういう人しか生き残れない時代が来るかもしれない。』

だいたい、こんなご回答でした。版元との著作権交渉については見落としていました。確かに大変そうですね…。

翻訳を職業にしたいと思っていても、よほど戦略的に進めて行かないと「生活していく」ことは難しい業界であると改めて知らされます。仕事をしたい、仕事を続けたいと考える時に、必要なことをもっと翻訳者自身が考えるべきであることを明確に示唆されていたと思います。「仕事は貰うもの。」と考えているうちは、仕事を「続ける事」は難しいということでしょうね。


まだ読めていませんが、ご著書も一冊購入して帰りました。
越前さんのサイン入りです(笑)

2014年9月10日

「めんどくさい」こと

なんだか通訳もサービス業も貶めるかのようなこの言葉。
でも、時々耳にします。

「通訳なんて所詮はサービス業だから。」

仕事をしていて面白くない場面はもちろんあるし、周囲に100%自分の仕事を理解してもらうなんて、この仕事に限らず無理な話です。そういう言葉を耳にすると「なんか嫌なことでもあったかな?」「疲れているんだろうな」と思います。

その上で客観的に上記の言葉を考えるに、サービス業の要素の伴わないフリーランス職業はまずないと言っていいでしょう。「人付き合いが苦手だからフリーになった。」という発言も聞きますが、ビジネスのインターフェースは人です。私もけして人付き合いが得意な方ではありません。ですが、一国一城の主である以上サービス業的側面を避けて通る事は不可能です。そしてサービス業に求められるものは自分にとっては「めんどう」なことのオンパレードじゃないでしょうか?

サービス業から想起されるものの対局にあるのが「ビジネスライク」という言葉かもしれません。この言葉にはまるで事実とデーターだけで淡々とやりとりが進むイメージがあリます。しかし、そこに人間が介在する以上、けして人間的なコミュニケーションを全てそぎ落として成り立つものではないと思います。

追求しているのはビジネス面での効率性であり、ビジネス効率向上を目指す上で「お互いが気持よく仕事できる環境に気を配る」ことはビジネスライクの一つの側面であるはず。

私もめんどうなことは嫌い。だけどめんどうなこと好きな人なんてそもそも居ないはず。みんな思っていても言わないだけじゃないでしょうか?

「所詮はサービス業だからめんどうなこともやらなきゃね。」という含みはなんとなく寂しい。翻訳や通訳はよく腕一本(技術だけ)で稼いでいる…という風に自ら言う人もいるし、周囲からもそう見られがちです。でも、必ずしもそうでないこと、もし気づいていないならとても残念なことです。

技術があるし業界に貢献しているから、知らない相手に今更あいさつなんてしない。
「めんどう」だから…
納期だから納品を受けた訳で、特に受領連絡しない。
「めんどう」だから…

これらの例ですら、人間関係が一旦出来上がってしまえば何でもないことかも知れません。でも、よくわからないうちはちょっとした気遣いの無さが「あれあれ?」という感覚につながる事があります。

最近こんなシーンを目にすることが続き「めんどうが嫌い」とわざわざ公言する人には「『めんどう』をかけると『めんどう』なことになるから、つまり自分に近づくなとサインをだしているのかも…」と、少し深読みしてしまう癖がついてしまいました。

疲れているのかもしれません(笑)疲れてくるとついつい「めんどうだな」と思っている自分がいます。日頃、自分とかかわる人が考えてくれている配慮を、ありがたいと感謝しつつ、少し疲れ気味な「めんどうな誰か」の気持ちを受け止められるくらいのココロの余裕が必要だなと思います。あるいは、そんな「『めんどうビーム』をはねのけるくらいのタフさ」が必要とも言えるかもしれません。

タフになる。疲れない。めんどくさがらない。
そのためにできる事ってなんだろう?
管理項目が山盛りすぎてちょっと疲れてきました。

あ〜めんどう。
いかんいかん…